筑西市久地楽:新治廃寺跡(その1)
過日,新治廃寺跡(茨城県筑西市久地楽)を見学した。
新治廃寺跡は,国指定文化財(史跡)となっている。
現地に駐車場はないので,筑西市のお勧めに従い,協和の杜公園(茨城県筑西市久地楽)の駐車場にクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。
協和の杜公園の敷地は,協和の杜公園遺跡と呼ばれる古墳時代,奈良・平安時代,中世の複合遺跡の遺跡包蔵地となっている。
新治廃寺遺跡所在地及びその周辺の地名は「久地楽」となっている。この地名の由来は不詳。「陸路(くがじ)」が訛って「くじら」になってものだとの見解があるが,文献資料等の客観的な根拠の有無は不明。
直観的には「宮地路」から転じたものかもしれないとも思う。
協和の杜公園公園の南側には協和ふれあいセンターの建物があり,そのすぐ近くに古い供養塔などを集めた区画があった。
協和の杜公園(一部)
協和ふれあいセンター
百八霊供養塔
古い供養塔・地蔵尊・馬頭観世音など
協和の杜公園から新治廃寺跡の所在地に向かって国道50号線の歩道を徒歩で東進すると,途中にとても大きく立派な十九夜供養塔があった。
十九夜供養塔
観音川を渡り,更に東進すると新治廃寺跡のある台地の端にさしかかる。その段丘崖のような場所に御堂がある。
この御堂は,元は薬師堂だったようなのだが,既に朽廃していた。その縁起等の詳細は不詳。
観音川
西の方から見た新治廃寺跡のある台地の様子
(写真中央より少し右手付近が久地楽長町窯跡遺跡所在地)
新治廃寺跡のある台地の南西端付近
(写真左端付近が久地楽長町窯跡遺跡所在地)
新治廃寺のある台地南西端付近から北の方に見える景色
にいばりの里碑
耕地整理竣成記念碑
御堂(旧薬師堂?)
手水
庚申供養塔など
日誌事変出征軍馬記念碑(昭和十二年)
御堂(旧薬師堂?)脇の窪地
この御堂を通り過ぎ,更に東進すると,新治廃寺跡の入口に至る。この場所は,国道50号線の建設のために一部破壊された新治廃寺回廊南東端付近に相当する場所にあたる。
史跡新治廃寺跡碑
南の方から見た金堂跡付近の様子
茨城県教育委員会:新治廃寺跡附上野原瓦窯跡
筑西市:新治廃寺跡(附上野原瓦窯跡)
史跡新治廃寺跡附上野原瓦窯跡保存活用計画【概要版】
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