つくば市筑波:筑波山神社境内地に残る中禅寺知足院の堂宇礎石など
明治時代の神仏分離により破壊された筑波山中禅寺知足院(茨城県つくば市筑波)の堂宇の礎石の一部は,現在でも筑波山神社の境内に残されている。
これらの礎石は,かなり重要な有形文化財なのだが,現在,その記録化や管理,許認可や行政執行がどうなっているのかは不明。
とはいえ,茨城県教育委員会及びつくば市教育委員会として,これらの礎石のもつ文化財としての価値を正当に認め,関連法令に従って適正に対処されているようには見えない。少なくとも,江戸時代までには筑波山神社が存在せず,筑波山中禅寺知足院の境内地だったことを示す説明板等は設置されていない。
そして,これらの礎石は,元は筑波山神社の社殿脇などに整理して並べられていたらしい。
現在では,境内地南端の石垣の中に埋め込まれているものがあるほか,筑波山神社境内地南側駐車場東端付近に置かれているもの,筑波山神社の境内社となっている春日神社・日枝神社の石段下付近に積まれているものなどがある。
境内地南端の石垣に埋め込まれている礎石
同上
境内地南側駐車場の東端付近
(この奥は歩行者用参道・車両進入禁止)
境内地南側駐車場東端にある参道の表示
残存礎石の一部
春日神社・日枝神社の石段
石段下付近にある残存礎石
同上
筑波山神社の大杉
(手前の石碑のある場所が元の鐘楼堂所在地付近?)
筑波山神社の拝殿
(元は知足院大御堂の所在地)
随神門(元は知足院の仁王像を安置した仁王門)
神橋
(元は徳川家祈願寺であった知足院参詣のためのもの)
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