潮来市永山:長山城跡(その1)
2024年2月下旬のことだが,長山城跡(茨城県潮来市永山)を見学した。
「長山城」は「永山城」と書かれることもあるようだ。この城跡は,現在では潮来市指定の文化財(史跡)となっているのだが,その名称も「長山(永山)城跡」となっている。
このブログ記事では,「長山城跡」と表記することにする。
長山城は,常陸大掾氏の一族・小高氏の子孫である長山氏の城だったが,大永2年(1522年)に島崎氏に攻められて落城した。島崎氏も常陸大掾氏の一族なので,同族間の争いということになる。
戦国時代にはどこにでもあったことなのだろうが,同じ祖をもつ一族間の争いであるがゆえに,一族の長者として君臨したいという支配力の旺盛な者が出現し,一族の他の者も同様にプライドが高い場合,一族間で殺し合いが発生することは避けられないことだとはいえ,惨い時代だと思う。
長山城に関しては,茨城城郭研究会編『【改訂版】図説 茨城の城郭』(国書刊行会,改訂版2017年)の279~280頁に解説がある。
長山城跡の現存部分は,本丸,二の丸,桝形などであり,二の丸の北側に位置していた三の丸は,現在では「かすみの郷公園」の敷地となっている。三の丸の所在地及び広さは,同公園の敷地となっている台地のほぼ全部なのではないかと推測される。
現地には説明板が立てられており,所々に案内表示がある。その表示に従って,二の丸,本丸,桝形の順に見学した。それ以外の場所(桝形の北東側の物見台のような場所など)は,見学不能と判断し,アクセスしなかった。
若干わかりにくい箇所もあったけれども,よく見ると見学用の小路が設置されており,毒虫や蛇などが出る時期を避ければ,比較的安全に見学できる。
長山城の内部を見学した後,長山城跡の周囲をぐるりと回るようにして歩きながら城跡を外側から見学した。
概ね見学した順にこのブログ記事を書こうと思う。
二の丸は,二の丸の外側の南西側斜面が階段状になっている。帯郭なのではないかと思うが,そのあたりから二の丸南西端付近の土塁の切れ目のようなところまで小路らしきものがある。築城当時からそのような構造になっていたのかどうかはわからない。この場所は,急峻でやや危険。
二の丸と本丸との間に大きな空堀がある。その空堀の途中から二の丸の方に登る小路がある。たぶん,見学者用に現代になって設置された小路なのではないかと思うが,こちらの小路を通れば,比較的安全に二の丸に登ることができる。
長山城は,自然の山を大きな空堀によって分割し,更に小規模な溝や空堀等によって幾つかの部分に分割し,大きな郭となる部分の上部は平坦に削って建物を築造できるようにし,また,大きな郭の縁に防御用の土塁を築いることによって,全体が構築されているようだ。
かすみの郷公園
かすみの郷公園から見た二の丸北西端付近
長山城跡の標識
二の丸北西端にある長山城址碑・説明板設置場所
長山城址碑
説明板
西の方から見た二の丸
長山城跡南西側の外堀跡と根古屋跡付近
長山城跡南西側外堀跡から見上げた二の丸の様子
(階段状に見える部分は帯郭?)
二の丸外側の南西側斜面
二の丸と本丸との間の大きな空堀の西端付近
二の丸内の平坦面と土塁内側の様子
同上
同上
同上
二の丸跡の標識
二の丸の土塁の切れ目から見える景色
二の丸から見た本丸
二の丸から見た大きな空堀の様子
二の丸南端付近から空堀に降りる小路
二の丸南端の小路から見た空堀と本丸北側下付近
空堀の方から見た本丸下北側の棚状の小郭付近
東の方から見た二の丸
東の方から見た本丸下北側の棚状の小郭付近
(奥は二の丸南側部分)
余湖:長山城(永山城・潮来市永山)
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