つくば市谷田部:五角堂
過日,飯塚伊賀七が建てた五角堂(茨城県つくば市谷田部)を見学した。
五角堂は,飯塚伊賀七の子孫である飯塚家の敷地内にあり,立派な門の右手奥にあるのだが,公道から凡その見学をすることができる。五角堂正面までの狭い範囲内は立入可能となっているが,そこに立てられている説明板に書かれているとおり,個人宅であることを考慮して短時間だけ静粛に拝見した。
五角堂は,茨城県の文化財(史跡)に指定されている。
飯塚伊賀七は,当時の名主であった飯塚家の長男として宝暦12年(1762年)に生まれ,71歳まで生きた。当時としてはかなりの長寿だと言える。
飯塚伊賀七は,平賀源内と同様の発明家としての側面と数学者(和算学者)としての側面が主に知られているように思われる。
しかし,飯塚伊賀七は,実に優秀な頭脳の持主だったらしく,また,名主という立場から谷田部藩との折衝などの苦労の多い仕事もしている。武士と農民とでは社会的地位に明確な区別がある江戸時代に飯塚伊賀七が生まれたのではなく,もし現代に生まれたとしたら,例えば,最先端の暗号科学のような先端的科学分野の研究・教育において非常に大きな功績をあげた人材だっただろうと思われるし,または,知事や国務大臣のような統治・行政上の重要な仕事に就き,大いに活躍しただろうと想像される。
飯塚伊賀七が南方熊楠と同じレベルの高度な異能者であり,極めて傑出した人材であったことは疑いようがない。
飯塚家の門と五角堂
(右奥は明超寺の入口付近)
同上
説明板
五角堂の正面
五角堂前にある説明板
茨城県教育委員会:五角堂と和時計
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