深谷市本田:鹿島古墳群(その6)
2023年2月のことだが,過去に何度か鹿島古墳群の所在地(埼玉県深谷市本田)を再び訪問した。
何回かに分けて,この日に見学した結果としての記録の一部を紹介しようと思う。
なお,古墳の附番に関しては,埼玉県教育委員会編『鹿島古墳群』(昭和47年)には発掘調査した古墳(=現在では隠滅した古墳)の番号しか記載されていないので,他の関連資料等に基づき推定した附番を用いることにした。
このブログ記事内にある古墳の番号は,現行の深谷市遺跡地図上で表示される番号と一致している。
なお,深谷市遺跡地図上では47号墳として表示される古墳は塩野博『埼玉の古墳 大里』(さきたま出版会,2004年)の302頁にある図では44号墳となっており,深谷市遺跡地図上では44号墳として表示される古墳は『埼玉の古墳 大里』の302頁にある図では43号墳となっており,深谷市遺跡地図上では48号墳として表示される古墳は『埼玉の古墳 大里』の302頁にある図では40号墳となっており,深谷市遺跡地図上では40号墳として表示される古墳は『埼玉の古墳 大里』の302頁にある図では41号墳となっていて,一致しない。
このブログ記事では,これらの古墳に関し,深谷市遺跡地図上の番号に従うことにしたが,深谷市遺跡地図の記載に錯誤がある可能性が否定できないので,念のため,深谷市遺跡地図上の47号墳,44号墳及び40号墳に関し,括弧の中で,それぞれ「埼玉の古墳44号墳」,「埼玉の古墳43号墳」及び「埼玉の古墳41号墳」と付記することにした。
鹿島古墳群の49号墳は,極めて小さな古墳ということになっている。分布図上の所在地付近には確かに若干の地膨れのような地形部分がある。その中心部には石祠が祀られているので,その場所が49号墳の所在地なのだろうと判断した。そのあたりはかなり荒れており,49号墳所在地付近の北側はすぐに急峻な段丘崖となっている。
鹿島古墳群の46号墳の南側にある耕地付近には,かつて14号墳があった。14号墳は,耕地整理のための発掘調査後に隠滅している。『鹿島古墳群』の57~59頁によれば,発掘調査前の14号墳は単なる石塚ではないかと思われような小さな塚状のものだったけれども,発掘調査の結果,横穴式石室が発見され,元は径13m程度の円墳だったことが確定されたとのこと。
鹿島古墳群の44号墳(埼玉の古墳43号墳)の所在地よりも西側の場所は,史跡公園としての敷地の範囲外となっており,畜産農家の施設敷地内にあるため,立ち入ることができない。公道から見える範囲内で見学した。
その結果,畜産農家の施設敷地内にある古墳中,深谷市遺跡地図上の40号墳(埼玉の古墳41号墳)と45号墳は現存しているが,深谷市遺跡地図上の36号墳,37号墳,41号墳は既に隠滅しているように見える。深谷市遺跡地図上の38号墳と39号墳は,公道から見える場所には存在しないけれども,状況から推測して,既に隠滅しているものと思われる。
深谷市遺跡地図上の43号墳(埼玉の古墳40号墳)と42号墳は,竹林の奥にあることになっており,近づくことができないので,現存するかどうかを含め,よくわからなかった。
以上でこの日の見学を終えることにした。
東の方から見た49号墳所在地付近
(右手前の丸石は石室材?)
南東の方から見た49号墳所在地付近
49号墳所在地付近にある石祠
南西の方から見た49号墳所在地付近
49号墳所在地付近から見た48号墳
南の方から見た48号墳
南東の方から見た48号墳
東の方から見た48号墳
北東の方から見た48号墳
48号墳の墳頂付近
48号墳の墳頂付近の葺石
北西の方から見た48号墳
南東の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)所在地付近
東の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)
西の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)
南の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)
北の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)
北西の方から見た47号墳(埼玉の古墳44号墳)
47号墳(埼玉の古墳44号墳)近くの段丘崖
北西の方から見た46号墳
北の方から見た46号墳
南の方から見た46号墳
西の方から見た46号墳と47号墳所在地付近(左手前)
(道路右手の耕地付近が14号墳所在地)
北東の方から見た44号墳(埼玉の古墳43号墳)?
南西の方から見た40号墳(埼玉の古墳41号墳)
南東の方から見た45号墳の墳丘東側裾付近
(右手前は40号墳(埼玉の古墳41号墳))
36号墳と37号墳の所在地付近
道路上の石(古墳由来石材?)
深谷市:鹿島古墳群
古墳の森:鹿島古墳群
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