小美玉市中延:やすらぎの里小川(その1-本間玄琢生家・蔦山遺跡)
過日,やすらぎの里小川(茨城県小美玉市中延)を訪問し,園内を見学した。
やすらぎの里小川の所在地となっている台地上には,管理施設のほか,展示廊・書画棟・茶道棟・華道胸・文芸棟によって構成される学芸区が設けられている。
また,やすらぎの里小川の敷地内には,江戸時代における水戸藩の高名な医師・本間玄琢の生家が移築・復元されており,その付属施設として薬用植物園が設けられている。
茨城県教員委員会編『茨城の文化財 第60集(令和3年度)』の83頁によれば,やすらぎの里小川の敷地西側部分(本間玄琢の生家から西の方に伸びる細長い尾根状の台地部分)に位置する「いこいの森」の区画一帯は,「蔦山遺跡」と呼ばれる中世の城館遺跡となっている。
2024年4月19日現在,いばらきデジタルマップ上では,縄文時代の集落跡遺跡として蔦山遺跡の説明が表示される。この点に関し,『茨城の文化財 第60集(令和3年度)』の91頁では「縄文時代早期末から古墳時代中期の土器が出土したが,全て細片であり,城館構築時に伐根した窪地に流入したものと考えられる」と説明されている。いばらきデジタルマップ上でこの遺跡確認情報が正確に反映されていない原因は不詳。
実際に蔦山遺跡所在地となっている尾根状の細長い台地を歩いて見ると,自然の地山を加工して形成された土地であることがよくわかる。古墳時代には,この尾根状の台地上に何基かの古墳があったのかもしれないというような印象を受けた。
館跡と思われる場所の形状は平坦な方形で,四周を土塁で囲まれているという構造をもっている。また,直線状の空堀跡のように見える地形部分がある。ただし,この空堀状の地形部分がどの時代に構築されたのかは不明。
館跡と思われる場所の形状は平坦な方形で,四周を土塁で囲まれているという構造をもっている。また,直線状の空堀跡のように見える地形部分がある。ただし,この空堀状の地形部分がどの時代に構築されたのかは不明。
ちなみに,蔦山遺跡の北には峯遺跡(茨城県小美玉市中延)と呼ばれる縄文時代・古墳時代の集落跡遺跡と宮田館跡(茨城県小美玉市中延)と呼ばれる中世の館跡遺跡がある。更に,やすらぎの里小川の北西の方には要害山古墳群(茨城県石岡市小井戸)がある。
稽楽門
事務研修区案内図
事務棟
やすらぎの里小川案内図
本間玄琢の生家
本間玄琢の生家の説明板
本間玄琢の生家内の竈
本間玄琢の生家の居間と機織機
本間玄琢の生家内で展示されていた雛飾り
西の方から見た薬草園と本間玄琢の生家
いこいの森内の散策路
散策路(続き)
散策路(続き)
土塁で囲われた館跡のような方形の場所
同上
いこいの森から見た峯遺跡所在地付近の様子
散策路(続き)
空堀跡?
同上
空堀跡のような場所の西端付近
いこいの森西端付近から見た万寿池の一部
万寿池の方から見た散策路
小美玉市:やすらぎの里小川
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