小山市高椅:高椅神社

過日,高椅神社(栃木県小山市高椅)を参拝した。栃木県神社庁によれば,祭神は,磐鹿六雁命・国常立尊・天鏡尊・天萬尊。
磐鹿六雁命は,料理の始祖神として広く知られており,調理師守護を御神徳としている。

高椅神社は,式内社・下總國結城郡高椅神社に比定されている。扁額には「正一位高橋大明神」と記されている。

高椅神社の創建に関しては,景行天皇41年,日本武尊東征の折に白旗丘という場所に御旗を立て,国常立尊・天鏡尊・天萬尊を祀ったのが始まりで,後に高橋氏(高椅氏)の氏神である磐鹿六雁命を合祀したとされている。

高橋氏に関しては非常に古い時代から客観的な証拠と言えるものが存在する。例えば,宮内省内膳司に仕えた高橋氏が延暦8年(789年)に奏上したという『高橋文』がある。
稲荷山古墳(埼玉県行田市埼玉)出土の鉄剣の銘文中の「多加披次獲居」を「タカハシワケ」と読み,高橋氏の祖のことを指すと解する見解がある。ただし,高椅神社と同じく高橋氏の氏神であり,式内社・安房國朝夷郡高家神社に比定されている高家神社(千葉県南房総市千倉町南朝夷)の祭神である磐鹿六雁命は高倍神とも呼ばれ,「高倍」も「高家」も「たかべ」と読む。

この白旗丘の所在地は不明だが,別処山古墳(栃木県下野市絹板)のことを指すとの見解がある。この見解が正しいかどうかは不明。
この見解が正しい見解であると仮定した上で,別処山古墳からは極めて素晴らしい副葬品が出土していることから,同古墳の造営当時,朝廷の命により屯田・支配した極めて強力な武力をもつ武人一族が存在したと推定され,同古墳はその一族の墓所だったと考えられる。それゆえ,日本武尊東征神話と結び付けられているのだろうと推定することは可能な範囲内にあると思われる。
なお,下記の玄松子のサイトでは白旗丘に該当する前方後円墳には白旗神社が祀られているらしいということが述べられている。しかし,白旗丘に該当するとされる別所山古墳の現況は,運動公園の敷地内に保存された古墳であり,その墳丘上に神社は祀られていない。高椅神社の境内には境内社として白幡神社があり,武甕槌神を祀っている。この「白幡神社」は「白旗神社」と同じであると考えられる。

高椅神社には,とても立派な楼門がある。明和7年(1770年)に結城城主・水野氏が寄進したもので,栃木県指定の有形文化財となっている。

また,高椅神社の太々神楽(吉田流)は,小山市指定の無形文化財となっている。


IMG_4704.JPG
高椅神社入口付近


IMG_4705.JPG
社号標


IMG_4708.JPG
参道


IMG_4713.JPG
手水


IMG_4714.JPG
楼門前の鳥居


IMG_4712.JPG
楼門正面


IMG_4753.JPG
楼門の彫刻(一部)


IMG_4725.JPG
楼門の彫刻(一部)


IMG_4755.JPG
楼門の彫刻(一部)


IMG_4716.JPG
楼門の説明板


IMG_4727.JPG
拝殿


IMG_4729.JPG
本殿


IMG_4721.JPG
神楽殿


IMG_4741.JPG
境内社(白幡神社)


IMG_4735.JPG
境内社(上宮神社?)


IMG_4736.JPG
境内社(大杉神社?)


IMG_4737.JPG
境内社(稲荷神社)


IMG_4739.JPG
境内社(五社?)


IMG_4749.JPG
境内社
(真剣神社・春日神社・東照宮・天建神社・健田神社)


IMG_4751.JPG
境内社(天満宮)


IMG_4747.JPG
石祠(境内社?)


IMG_4744.JPG
庖丁供養塔


IMG_4743.JPG
神輿庫


IMG_4709.JPG
神木


IMG_4711.JPG
聖徳太子之碑


IMG_4710.JPG
供養塔



 栃木県神社庁:高椅神社

 玄松子:高椅神社

 玄松子:高家神社

 kyonsight:高椅神社

 小山市:小山市の文化財(無形民俗文化財)



この記事へのコメント