桜川市真壁町古城:茨城百景傳正寺と真壁城址碑

日蓮宗・朝日山大林院(茨城県桜川市真壁町古城)の境内地の東側には「つくばりんりんロード」の自転車道が南北に走っている。よく整備された自転車道だと思う。
そのつくばりんりんロードを少し北上すると旧筑波鉄道真壁駅の跡地を二次利用した休憩所のような場所があり,そこに「傳正寺と真壁城址碑」の石碑が立てられている。2023年5月のことだが,その場所を訪問した。

この「傳正寺」とは,真壁城址の東にある曹洞宗・天目山伝正寺(茨城県桜川市真壁町桜井)のことを指す。伝正寺は,元は法身国師ゆかりの寺院(当時は臨済宗・金城峰天目山照明寺)であり,康正2年(1456年)以降には曹洞宗寺院となり,慶長16年(1611年)には浅野家の菩提所となり,境内には浅野家代々の墓所もあるという歴史ある寺院であり,かつ,茨城県下でも有数の貴重な文化財の宝庫となっている寺院なのだが,同寺の檀家以外の見学等は禁止らしいということを聞いているので,まだ同寺を訪問していない。
なお,江戸時代に浅野家が寄進したという伝正寺の山門と本堂は,東日本大震災により被害を受けた。現在の本堂は,その後に再建されたものらしい。また,元は伝正寺の境内にあったという浅野長政夫妻の石造は,現在では桜川市役所真壁庁舎(茨城県桜川市真壁町飯塚)に移設されている。

この場所から真壁城跡が見え,更に,真壁城跡越しに伝正寺が見えるという趣旨の石碑なのだろうと判断した。ただし,現在では,建物などに遮られているため,そのような景観は存在しない。かつては,走行する筑波鉄道の車両の車窓からそのような景色が見えたものなのかもしれない。
ただ,法身国師にまつわる伝承を下敷きにした上で,「真壁氏統治時代の真壁城主よりも法身国師の方が高い場所にいる」という意味をこめた心象的な景観なのかもしれないとも思った。

真壁町から比較的近い笠間市内には,忠臣蔵で知られる大石内蔵助の祖父にあたる大石良欽の屋敷があった場所とされている大石邸跡(茨城県笠間市笠間)がある。何やら歴史のいたずらのようなものを感じる。

芥川龍之介は,伝正寺や近隣の関連遺跡を訪問し,伝正寺に安置されているという赤穂浪士の像を拝し,伝正寺前の桜井館という温泉宿に投宿しながら,『或日の大石内蔵助』を構想し,執筆したのだろうと想像する。


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旧筑波鉄道真壁駅跡地


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茨城百景碑


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北側の四阿


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南側の四阿



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