2024年2月29日に小石川植物園で見た花と鳥など(その4)

2024年2月29日のことだが,小石川植物園(東京都文京区白山)を訪問した。

新型コロナの関係等もあり,かなり久しぶりの訪問。ブランクの間に温室が建て直されていた。新しい温室になってからの訪問は,これが最初ということになる。

温室の中央入口前には初期の温室の構造物の一部が展示されていた。文化遺産の一種となる。このようにして,かつての建築技法の一部が物体それ自体として保存され,一般公開されることは,とても良いことだと思う。物体がなくなってしまうと,かつての工法や様式などを知ることができなくなってしまう。

温室の中は,こざっぱりとした感じになっていた。

ただし,ラベルが落ちてしまっていてもそのまま放置されていたり,栽培管理が悪くてひどい状態になっている株が目立った。たぶん,管理者である東大には必要な予算がなく,人件費を払うこともできないということなのだろうと想像する。


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温室


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冷温室


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旧温室の遺構の展示


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ボイラー室の竈遺構の展示


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説明板


Coelogyne flaccida
コエロジネ・フラクシダ(Coelogyne flaccida


Dendrobium sp.
デンドロビウムの一種(Dendrobium sp.)


Ionopsis sp.
イオノプシスの一種(Ionopsis sp.)?


Bulbophyllum sp.
ブルボフィルムの一種(Bulbophyllum sp.)


Staurochilus luchuensis
ニュウメンラン(Staurochilus luchuensis


Dendrobium kingianum
デンドロビウム・キンギアヌム
Dendrobium kingianum


Stapelia grandiflora
スタペリア・グランディフロラ
Stapelia grandiflora


Huernia sp.?
フエルニアの一種(Huernia sp.)?
(ラベルの記載は「Orbeopsis melanantha」)


Huernia sp.?
同上


Stapelia leendertziae
スタペリア・リーンデルジアエ
Stapelia leendertziae


Stapelia leendertziae
同上


一般に,日本国の学術の分野は,その学術領域の別を問わず,末期症状とでもいうべき悲惨な状態にある。日本国の大学の頂点に君臨する東大付属の植物園でさえこのありさまだ。
世界各国の植物園や公的温室の管理と比較してもかなり見劣りがするようになってきている。
かつては自分の給料とは関係なく,逆に公費が不足しているのであれば自費を投入してでも熱心に研究や栽培に打ち込む非常に優秀で人間味あふれる研究者や職員がいたのだけれども,今はもう1人もいないのだろうと思う。

同様のことは日本国の全ての学術分野に共通して言えることだ。

そして,社会全般の問題として,「学問は金銭的利益のために存在しているのではない」という当たり前のことを理解できない者が社会の支配層となっている。彼らは,産学協同という名の経済的利益の獲得に奔走し,そして,(真の意味の経済人ではないので当然の帰結ではあるが)失敗し,自己崩壊するということを繰り返している。
唯一の成功パターンは,特定の企業主導または軍主導で開発計画を策定した上で,多数の専門職や研究者等を奴婢または部民として使役するような方式による場合だけだ。この場合,当該計画の実施の場は,古代の荘園と同じような社会的機能をもつことになる。そのような場合の研究組織に組み込まれてしまった研究者は,(企業経営というものが本質的にマキャベリ的以外ではあり得ないということを知らないので)自分がそのようにして使役されていることを認識できない。

しかし,本来,学問は,真理探究のためにある。

ただし,真理探究タイプ(=唯我独尊タイプ)の場合,どんなに辛くても独自に進むしかない。
この場合,必然的に,経済的には悲惨なこととなってしまうのだが,見ている人は見ているので,もし幸運に恵まれれば,たまには資金援助してくれる人と遭遇することもある。

戦前には,貧乏な家に生まれた子供でも極めて優秀な子供は,資産家の養子となって十分な資金手当てを受けて勉学に励んだ上で,後世に名を残すような偉業を達成できるようになったものだ。そのような極めて優秀な頭脳と体力の基礎となる遺伝子をもつ子供の発生確率は,50年の期間を1単位とすると,概ね3000万人~1億人に1人程度だろうと推計している。

戦時中のような特殊な環境下では平均化された(平均的な能力しかもたない)秀才は社会的必要性がなくなり,とにかく有用性を発揮できる人材が重用される確率が向上する。
その結果,平時であれば社会の中に埋もれてしまう人材が社会の表層に浮かび上がる可能性が増加する。つまり,発生確率は,固定的な定数ではなく(社会環境の変化によって支配されている)変数の一種である。
一般に,現代社会においては,平均的な能力はすぐに模倣されるのでAIによって代替される可能性が高く,従って,社会全体として,「平均化された秀才」に対する需要が低下する可能性が高い。「平均化された秀才」を育てるための装置の一種であるようなタイプの受験予備校は,近未来のAI主導社会においては,結果的に,社会悪の一種へと転化することになるだろう。
同様に,企業経営者が,「(現時点の価値観からすれば)少しずれた人材」の将来性を認識できないような「平均化された秀才」のタイプの経営者である場合,その企業の将来性は暗いと言える。AIによって模倣容易な事柄は,人間よりもAIの方が迅速に処理してしまうので,模倣容易な事柄の典型である「平均化された知識」しか持たない「平均化された秀才」のタイプの経営者は,たちまち駆逐されてしまう可能性があるからだ。



 小石川植物園



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