つくば市筑波:日枝神社・春日神社
2023年3月中旬のことだが,筑波山神社の境内社になっている日枝神社・春日神社(茨城県つくば市筑波)を参拝した。日枝神社の祭神は,大山咋神。春日神社の祭神は,武甕槌神・経津主神・天兒屋根神・比売神。
『常陸国筑波山下画図(常陸國筑波山下畫圖)』を見ると,日枝神社・春日神社は,江戸時代から山王社(=日枝神社)・春日社(=春日神社)だったということを知ることができる。
日枝神社・春日神社は,その本殿は二社に分かれているけれども拝殿は共通という変わったつくりとなっており,これらの建造物全部(筑波山神社境内社春日神社本殿・日枝神社本殿及両社拝殿)が茨城県指定の文化財となっている。
何度も参拝している神社なのだが,いつも参拝客が多い時期だったので,ちゃんと写真を撮ったことがなかった。この参拝の時にはたまたま参拝者があまりいなかったので,写真に写りこむリスクがほとんどないと判断し,写真を撮ることにした。
江戸時代よりも前の時代における日枝神社・春日神社に関しては,確実な史料がほとんどない。現在,最も確実な史料と考えられているものは,春日神社の屋根裏から発見された寛永10年(1633年)の墨書だと理解されている。
筑波町史編纂委員会編『筑波町史 上巻』(平成元年)の378~382頁は,平安時代以降の筑波山信仰に関し,現在の真壁~筑波付近一帯では紀伊熊野神社系の修験道を基本とするものだったとの一般的な見解を示した上で,知足院の僧・俊在が著した『筑波山流記』(天正18年(1590年))の巻三の中にある「伝聞 仁王第七代孝霊天皇御宇 験徳忽応神感 五台之一角雲乗飛来分二嶽成両山 吉野金峯山筑波金華山是也 明知 蔵王筑波両権現一躰分身也云事」との記述を引用し,筑波山の信仰は,吉野金峯山系の修験道だったという見解を示している。
石段
日枝神社・春日神社拝殿正面
日枝神社・春日神社側面
日枝神社(東殿)と春日神社(西殿)の本殿
社殿側面
説明板
茨城県教育委員会:筑波山神社境内社春日神社本殿・日枝神社本殿及両社拝殿
筑波山神社:みどころ
国立公文書館:常陸國筑波山下畫圖
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