つくば市筑波:知足院大御堂

2023年3月中旬のことだが,真言宗豊山派・筑波山中禅寺知足院大御堂(茨城県つくば市筑波)を参拝した。本尊は,千手観世音菩薩。
坂東三十三観音霊場第二十五番札所となっている。

大御堂は,明治初年の神佛分離により廃寺となったけれども,再建され,現時点では,真言宗豊山派・神齢山悉地院大聖護国寺(東京都文京区大塚)の別院という位置づけになっている。

筑波山神社を含め,江戸時代以前における筑波山の信仰を正しく理解するためには大御堂のことを十分に理解しなければならない。

大御堂のWebサイトによれば,延暦元年(782年),徳一上人が筑波山頂二社を再建し,中禅寺知足院と号して始まるのが最初とのこと。徳一上人が中心となって最初の形態の寺院が形成されたことは疑いようがないのではないかと思われる。

なお,徳一上人と大御堂に関しては,筑波町史編纂委員会編『筑波町史 上巻』(平成元年)の202~206頁に詳しい解説がある。

かつての大御堂の堂宇のほぼ全部が(神佛分離のために)破壊されてしまっており,現在の大御堂の堂宇は,比較的最近になって復元・整備されたものが中心となっている。しかも,江戸時代の境内地とは異なっている。

しかし,現況のままでも極めて立派であり,かなり遠くから見ても大御堂の存在を視認できる。


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大御堂入口付近


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石段


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大御堂


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鐘楼


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祖師堂


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筆塚


江戸時代初期における知足院大御堂の様子については『筑波町史 上巻』の636~664頁に非常に詳しく書かれている。また,知足院大御堂の再建に大きな功績があったとされている光譽上人に関しては,坂本正仁「近世初期の知足院」印度學佛教學研究24巻2号878~880頁が参考になる。

江戸時代においては,知足院の境内地の所在地は,現在の筑波山神社の境内地~現在の知足院大御堂の境内地の全域だった。

現在の大御堂所在地付近は,江戸時代における知足院の本坊の所在地に該当する。現在の筑波山神社の拝殿がある場所には,江戸時代には知足院の大御堂が建立されていた。

現在の筑波山神社の東側にある日枝神社・春日神社は,江戸時代から日枝神社・春日神社だったので,現在の筑波山神社の境内地の中で江戸時代における神社がそのまま残る極めて重要な場所ということになる。

また,『常陸国筑波山下画図(常陸國筑波山下畫圖)』を見ると,現在の筑波山神社の参集殿付近に知足院の三重塔が建立され,また,現在の筑波山神社の参集殿付近には開山堂が,社務所付近に薬師堂がそれぞれ建立されており,そして,現在の筑波山神社随神門の東側(現況は小広場)には鐘楼堂が建立されていたようだ。この鐘楼堂は,現在では,真言宗豊山派・勢光山広蔵院慶龍寺(茨城県つくば市泉)に移され,慶龍寺の鐘楼堂となっている。

現在のつくば山神社の参道入口付近には立派な石垣がある。この石垣は,『筑波町史 上巻』の652頁では,知足院の石垣として紹介されている。この石垣の中には,改修工事の際,中禅寺知足院の堂宇の礎石だった石材が埋め込まれている。『常陸国筑波山下画図』を見ると,この石垣の上(現在の知足院大御堂境内地の東側隣地)には知足院の宝蔵,護摩堂,方丈,書院などがあったことが示されている。この場所は,現在では筑波山神社参拝者有料駐車場となっている。

なお,2024年2月23日現在,いばらきデジタルマップ上では,知足院廃寺としての遺跡所在地の表示が完全に誤っており,宮脇駅付近にあったように表示されている。そのような誰から見ても明らかな誤りが発生している原因は,不明。

現在では筑波山神社の随神門となっている大きな門は,江戸時代には知足院の仁王門だった。仁王門当時に安置されていた仁王像は,現在では,真言宗豊山派・作蔵山延命院東福寺(茨城県つくば市松塚)に移され,安置されているとのこと。加えて,仏具等の一部が真言宗豊山派・神護護国聖宝寺慈徳山萬蔵院(茨城県坂東市生子)に移転されたとのことだ。

茨城県つくば市教育委員会編『筑波町史 史料集 第五篇』(昭和58年)の中には,元は知足院にあったけれども現在では「万蔵院蔵」となっている仏像等の写真が収録されている。具体的には,本尊千手観音,筑波山山門額,延命地蔵尊,如意輪観世音菩薩木像,筑波山大御堂扁額(坂東二十五番札所),本尊釈迦三尊,金剛力士像,寛永10年将軍家光寄進護摩壇,延宝2年徳川綱吉寄進護摩壇,同護摩具,同装具がそれに該当する。
同書には,元は知足院の千手堂にあったけれども神佛分離の際に慶龍寺(茨城県つくば市泉)に移転された二十八部衆像の写真も収録されている。『常陸国筑波山下画図』の中には「千手堂」として示された御堂は含まれていないけれども,本尊である千手観世音菩薩を安置している本堂(大御堂)が「千手堂」であり,本尊を守護するようにして二十八部衆像が安置されていたのではないかと想像される。

これらの神佛分離と関連する諸々の出来事の経緯に関しては,筑波町史編纂専門委員会編『筑波町史 下巻』(平成2年)の149~159頁に詳しく書かれている。

そして,筑波山神社の境内(筑波山神社随神門の西側)には,光譽上人の五輪塔がある。


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五輪塔


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説明板


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五輪塔所在地付近の様子


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筑波山神社参道入口左手にあるつくば道碑と石垣


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知足院の鐘楼堂があった場所近くにある大杉


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大杉の説明板


筑波山第3駐車場のトイレ脇から筑波山温泉つくばグランドホテル方面に南下する狭い道がある。その狭い道の脇には古い石仏や供養塔などのほか,古墳の石室のようなものがある。これは,かつて古墳があった場所なのかもしれないが,たぶん,石室材を二次利用して後代に構築された石室であり,信仰の対象だったと推測される。知足院との関係は不明だが,仏教のものだということだけは明らかだ。


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筑波山第3駐車場付近から見た筑波山(男体山)



 筑波山大御堂

 国立公文書館:常陸國筑波山下畫圖



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