小美玉市高崎~下玉里:高崎館跡
2023年2月初旬のことだが,小美玉市生涯学習センターコスモス(茨城県小美玉市高崎)の南西隣地に鎮座する館山神社を再訪した。
館山神社は,以前訪問したときと比較すると,かなり寂れてしまっているように見えたのだが,敬意を表する趣旨で参拝した。
一般的には応永元年(1368年)頃に常陸大掾氏の一族・鶴町照光が築いたものとされている。館山神社は,鶴町氏の氏神として創始された神社だったようだ。
小美玉市生涯学習センターコスモスの敷地~権現山古墳の所在地(茨城県小美玉市下玉里)一帯を含む比較的広い土地が高崎館の所在地だったと考えられており,その中心的な建物群は小美玉市生涯学習センターコスモス~民家園(旧小松家住宅)のあるあたりにあったと推定されている。
権現山古墳も高崎館の一部である物見台として利用されていたとする見解が多い。
現在残されている館跡遺跡としては,小美玉市生涯学習センターコスモスの建物西側~館山神社の境内地付近にあるやや長い土塁跡と民家園(旧小松家住宅)の南東側にある土塁跡だけとなっている。残存土塁の配置図は,玉里村教育委員会編『玉里村村内遺跡分布調査報告書 玉里の遺跡』(平成16年11月)の142頁にある。
民家園(旧小松家住宅)の南東側にある土塁跡とされているものは,円墳または前方後円墳の残骸のようにも見える。
館山神社の拝殿
館山神社の本殿
小美玉市生涯学習センターコスモスの建物(写真右手前)
高崎館の西側土塁跡の南端付近(写真中央奥)
南東の方から見た西側土塁跡の南端付近
石棺保管場所付近から見た西側土塁跡
(写真右手奥は館山神社の拝殿屋根の一部)
北の方から見た西側土塁北端付近
西側土塁北端付近から見た腰郭のような場所
南西の方から見た西側土塁北端付近
館山神社の社殿脇の残存土塁
館山神社境内地から見た西側土塁の一部
館山神社境内地西側の斜面
高崎館跡の北西側郭跡所在地付近
腰郭のような場所
腰郭のような場所付近から見た閑居台古墳所在地
館山神社の石段と鳥居
館山神社の境内地
南西の方から見た西側土塁南端付近
駐車場から見た高崎館跡南東側残存部分所在地付近
高崎館跡南東側に残る土塁跡とされる場所
余湖:高崎館(小美玉市高崎)
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