高崎市吉井町本郷:穂積神社

過日,穂積神社(群馬県高崎市吉井町本郷)を参拝した。祭神は,合祀による11柱の神(多淤加美命・倉稲魂命・八坂刀売命・素盞男名・穂積親王・火々出見命・大日霊命・国常立命・菅原道真公・建御名方命・誉田別命)。

「穂積」の名を冠する神社なのだが,多胡碑の碑文に出てくる穂積親王が創始した神社というわけではない。
吉井町誌編さん委員会編『吉井町誌』(昭和49年)の1162頁には,穂積神社の由緒として「当社は従来より火蛇神社を奉祀せるところにして,明治四十二年(1909)八月十八日許可を得て,片山村々社科神社,同境内末社,小柵村々社諏訪神社,同境内末社,本郷村無格社稲荷神社,小柵村無格社八幡宮の三ヶ村内全部の神社を合併祀し,新たに穂積神社と改称せり」と書かれている。
群馬縣多野郡教育會編『群馬縣多野郡誌』(昭和2年)の688頁には同旨の由緒記述がある。ただし,祭神の記述は,「多淤加美神,火々出見尊,建御名方命,八坂刀賣命外十柱ノ神」となっており,この祭神名の記述の中に穂積親王の名はない。
それ以上詳しいことはわからない。
推測としては,「多淤加美命」とは,「大神命」であり「巳」とも呼ばれる三輪山の「大物主大神」の分霊を祀ったものではなかろうか。
被合祀神社の所在地区との争いを避けるため,合祀前のどの神社の主祭神も合祀後の神社の主祭神とはせず,合祀の際に穂積親王を主祭神として祀ることを定め,近隣地区との和合を期して今日に至っているのではなかろうか。

境内にある由緒書によれば,穂積神社の社殿は,片山村の村社だった科神社の社殿を移築したものとのこと。

それはさておき,過去に読んだものの中で,穂積神社には多胡碑と関連する石造物があると書かれているものがあったので,その信頼性は一応措いて,もし参拝することがあれば見てみたと思っていた。しかし,私が訪問したときには,それらしきものは何も見当たらなかった。


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穂積神社入口付近


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鳥居


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参道


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拝殿


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本殿


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本殿背後の様子


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由緒書


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古い手水


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古い手水


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古い石祠


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御神燈


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対になる御神燈の残骸?



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井戸?


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穂積神社境内地付近から見た朝日岳方面の景色



 上州まったり紀行:高崎市吉井町本郷・穂積神社



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