那須烏山市南大和久:十二口横穴墓群

2023年1月下旬のことだが,十二口横穴墓群(栃木県那須烏山市南大和久)を見学した。

十二口横穴墓群は,那須烏山市を流れる荒川の北側崖面に掘られた12基以上の横穴墓で構成される遺跡。遺跡の対岸(南側)から荒川ごしに見学するのが普通だと教えられていたので,そのようにした。

現地に到着してみると,たまたま河岸の野焼きをしている最中で,消防車が来ており,市の職員と思われる方や消防団の方を含め地元の関係者の方が作業にあたっていた。責任者と思われる方に挨拶をした上で,その邪魔にならないように護岸堤上の野焼きをしていない場所から見学。その方からは,とても懇切に遺跡のことなどをご教示いただいた。まことにありがたいことだと思う。

近くに寄っていないので正確ではないが,望遠鏡代わりに愛用のデジカメを用い,ズームで写真を撮りながら観察した結果としては,予想以上に良好な状態で残されている遺跡だと思った。
大雨のときなどには水位も上がると想像されるので,こういう場所にある遺跡としては奇跡的に残された極めて貴重なものなのではないかと思う。


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十二口横穴墓群所在地の対岸(南側)にある道
(写真左手は南那須水処理センターの敷地)


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十二口横穴墓群の所在地付近


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十二口横穴墓群


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横穴墓群西側に位置する横穴墓(ズーム)


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横穴墓群中央付近に位置する横穴墓(ズーム)


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横穴墓群中央~東側部分の様子(ズーム)


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遺跡所在地の西側に続く崖面の様子


当時の葬祭の様式としては,小舟で遺体または棺を崖下まで運び,そこからそれぞれの家族の横穴まで遺体または棺を人力で移動し,横穴内に蔵置したのだと想像される。

日本国で見られる横穴墓のかなり多くが水路や川の近くにあり,それらの場所では,同様に小舟で遺体や棺を運搬したのだろうと思う。『古事記』や『日本書紀』を読んでみても,古代の倭国(日本国)においては,(古代エジプトのファラオと同様)棺を船に乗せて黄泉の国まで送るという考え方があったように窺われる。古墳時代の墳丘墓の石室内等にはそのような船の絵画の残骸が残されていることがあり,そのような絵画作品は,現実に挙行された葬儀の一部を記録として残したものではないかと考えられる。

竹割型木棺を含め,細長い木棺を直葬したと推定される墳丘墓が多数ある。それらの直葬された木棺の中には,実際に使用された小舟をそのまま棺として埋めたという事例もあったのではないかと想像している。

そして,現代でも行われている精霊流しは,そのような古代の葬祭儀礼の一部を現代まで伝えるものであるのかもしれないと思う。



 十二口横穴墓群



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