真岡市物井:桜町陣屋跡

先日,桜町陣屋跡(栃木県真岡市物井)を見学した。桜町陣屋跡は,国指定の史跡となっている。

桜町陣屋の所在地周辺は,市町村合併により真岡市の一部となるまでは栃木県芳賀郡二宮町桜町という地名の場所であり,江戸時代には小田原藩の飛領地であり,小田原藩主・大久保家から分家した宇津氏が領主となっていた。

陣屋跡には土塁の一部,陣屋建物1棟などが残されている。

この建物は,小藩の陣屋建物なので,外見・規模は豪農の屋敷の主屋とほとんど変わらないようなものなのだが,部屋割りをみると確かに藩の公務を遂行するために必要な施設として合理的に設計されていることがわかる。納得できる部分が多い。

また,この建物は,基本的には江戸時代のものなのだが,かなり傷んでいたために大規模な改修工事が実施されたもので,その意味では復元物となっている。
二宮尊徳の業績や明治維新当時の陣屋建物の様子を含め,関連する遺品等が隣接する二宮尊徳資料館で展示されており,とても勉強になった。
なお,二宮尊徳資料館の展示物は,写真撮影禁止となっている。


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下野櫻町二宮先生起業之地碑


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桜町陣屋跡入口付近


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西側の土塁跡と堀跡の一部


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南側の土塁跡の一部(内側)


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南側の土塁の一部(外側)
(中央奥が虎口・桝形付近)


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説明板


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桜町陣屋建物正面


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桜町陣屋建物側面


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建物内の様子(一部)


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木小屋跡


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長屋跡


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北東側土塁跡の一部


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報徳田と案山子


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駐車場にある案内図


Ardea cinerea
駐車場付近で見たアオサギ(Ardea cinerea


Orthetrum albistylum speciosum
駐車場付近で見たシオカラトンボ
(Orthetrum albistylum speciosum)


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二宮尊徳資料館


一般に,二宮尊徳は,「勤勉」を重視し,自身も実行した人物として知られている。私自身も「勤勉であること」を尊重している。勤勉に努力を継続してきた結果,単なる凡人の一員に過ぎないこの私がどうにかこうにか今まで生きることができた。

しかし,「勤勉」は,人間の何らかの思索や行動の一定の属性(attribute)を示す語の一種であり,それ自体が何らかの内容をもつわけではない。

大事なのは,勤勉に実施される人間の「何らかの思索や行動」の方だ。それが間違っている場合,邪悪な結果が招来され得る。例えば,「勤勉に」他国に対する侵略戦争を継続するとどうなるかを想像してみれば良い。

他方,これまでの人生の中で現実の日本人を見てきたところでは,真に勤勉と言える日本人はかなり乏しいと思っている。

例えば,管理職以上の立場にある日本人に関して言うと,実際には,名誉欲や支配欲や金銭欲だけ強く,少しも勤勉ではなく,勤勉ではないゆえに経験・知識・教養・技能・洞察力が少しも蓄積・改善されないというような人物の例が決して少なくなかった。

二宮尊徳の時代においても,勤勉ではない日本人が多かったために,二宮尊徳は「勤勉」を掲げて改革を実行する必要があったと言える。
ただし,二宮尊徳は,領民に対して内容のない「勤勉」という語を形式的に覚えること(だけ)を強要するのではなく,自身が勤勉に調査と勉強と努力を重ねて指導方法を改善し続け,状況の変化に即応して適切に具体的な内容をもつ指示を与えたのだろうと推測する。

領民が二宮尊徳の指導に従って勤勉に行動した結果,桜町は豊かになり,大飢饉の際にも死者を出さないで済んだとされている。

単に「勤勉」という語を暗記するだけでは何も起こらない。むしろ弊害がある。領民が,毎日,「勤勉」を何度も唱えても何も起きず,逆に仕事が疎かになる。

桜町において二宮尊徳が成功を収めたのは,自身が勤勉に領地内の様子を調べ,実際に実行できる方法を考え,指導方法を改善し続け,領民が納得して指導に従うように,当時考えつくことのできたありとあらゆることを尽くしたからだと言える。

二宮尊徳が「何をすべきか?」を具体的に指導できたのは,二宮尊徳自身が極めて優れた頭脳と体力の持主であったことが一番大きいと考えられるが,それだけではなく,常に勤勉に勉強し,思索し,領民の納得を得るために領民と対話し続けた結果だと言える。
だからこそ,農業のために必須の水路の整備や新設などの土木工事を具体的に指導することなどもでき,領民の力を結集して土木工事を完成させ,現実に実績をあげることができた。

一般に,指導者自身が優秀ではなく,かつ,「何をすべきか?」を勤勉に吟味・思索し続けているのでなければ,「何をすべきか?」が特定されることがない。その部下に対して具体的な目標や目的が明確に特定・指示されなければ,その部下としては,何をすべきかがわからないから,勤勉になりたくても勤勉になりようがない。

二宮尊徳の場合,もともと非常に優れた人材だったということだけではなく,何度か苦境に立ちながらもその苦境の事態を乗り越えるための努力を勤勉に継続し,実際に良い結果を出せたので,領民も納得してその指導に従うようになったのだろう。

もし二宮尊徳が大久保家から派遣された代官のような立場で権力を振り回すだけだったら,更に離散が続き,村それ自体が消滅してしまっていたかもしれない。

ただし,江戸時代において,二宮尊徳のようなタイプの優れた人材が津々浦々一般的だったとは全く思わない。

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あくまでも一般論として,無知・無教養・無能であり,かつ,誰に言われなくても自発的に調査と思索と自己改善を勤勉に続けようとしない者が人の上に立ってはならない。

「勤勉」や「改善」という語を口で唱えるだけでは何も起きない。それは,単なる自慰行為の一種に過ぎない。



 真岡市:桜町陣屋跡

 余湖:桜町陣屋



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