高崎市吉井町:小暮の穴薬師
現地近くを上信電鉄上信線が通っており,列車が通り過ぎるのを何度か見た。
吉井町誌編さん委員会編『吉井町誌』(昭和49年)の1213頁によれば,胴穴とも呼ばれ,「七仏薬師如来」を祀っており,享保6年(1721年)に曹洞宗・士峯山全林寺(群馬県高崎市吉井町小暮)に管理が移ったが,伝承によれば,鎌倉時代に倉賀野の薬師を移したものとのこと。なお,『吉井町誌』の同頁では,小暮の穴薬師を古墳(横穴墓)の一種としては扱っておらず,「現在凝灰岩の石室があり住居跡ではないかと思われる。入口に左右七体の石仏がある」としている。
現在では古墳時代末期の横穴墓遺跡として理解されており,高崎市の重要文化財に指定されている。高崎市のWebサイトの説明によれば,「ほぼ完全な横穴墓3基の他,崩壊した痕跡が認められるもの5基が確認されている」とのことなので合計8基が確認されていることになるのだが,『群馬県古墳総覧 2017』では,薬師穴1号横穴(高崎市1386号遺跡)~薬師穴7号横穴(高崎市1392号遺跡)の合計7基が記載されている。
現地は,群馬県道200号後賀山名停車場線の北側にある山の斜面であり,かなり壊れている石段を登るとその場所に至ることができる。
一見して複数の横穴式石室があった場所だと判断できる。大部分は残骸のようなものだけが残されているのに過ぎず,その一部を削り,二次利用して石仏が彫られている。
ほぼ完全な石室(玄室)が残されているのは1基だけであり,その中に石仏が祀られている。これはもともと安置されていた薬師如来像ではないようで,比較的最近に置かれたものではないかと推定される。柵のような扉がある。開けて中に入れそうだったのだが,その扉ごしに拝見するのにとどめた。
東の方から見た小暮の穴薬師所在地
小暮の穴薬師入口付近
説明板
石段
石段上部
一番大きな石室の入口付近
(入口左側に石仏が彫られている)
一番右側にある横穴墓の残骸と思われる部分
一番大きな横穴墓の右側にある石仏
(横穴墓の残骸?)
一番大きな横穴墓の中に安置されている石仏
(左端の小さな石仏が元からあった薬師如来?)
一番大きな横穴墓の左にある石材の露頭
庚申塔
(横穴墓の残骸?)
同上
小暮の穴薬師所在地西側の斜面
上信電鉄上信線の列車
高崎市:小暮の穴薬師
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