高崎市吉井町馬庭:隨雲寺

先日,真言宗・疋田山龍勝院隨雲寺(群馬県高崎市吉井町馬庭)を参拝した。本尊は不動明王。

吉井町誌編さん委員会編『吉井町誌』(昭和49年)の1213頁では,隨雲寺の宗派を「新義真言宗智山派」としており,また,隨雲寺が真言宗智山派・真言宗智山派・阿保山真光寺吉祥院(埼玉県児玉郡上里町大御堂)の末寺であることから,真言宗智山派の寺院だと理解したが,直接に確認しているわけではないので,間違っているかもしれない。一般的には真言宗豊山派の寺院として扱われることが多い。
群馬県宗教法人名簿(令和3年9月1日現在)では,隨雲寺は,「単立」の寺院として登録されている。

隨雲寺は,元は現在の境内地の北にある疋田山の山裾付近(現況は自衛隊の駐屯地)にあったが,後に馬庭氏によって現在の場所に移され,飯玉神社の別当寺となったとのこと。つまり,飯玉神社境内地と隨雲寺の境内地とは同一のものだった。その後,明治時代の神佛分離により,飯玉神社の境内地と隨雲寺の境内地とが分けられたようだ。

『吉井町誌』の1213~1214頁によれば,何度も火災にあったため古い時代のことはわからないけれども,享保年間に恵意法印によって中興開山となり,その後,高麗氏によって諸堂が建立され,吉祥院(埼玉県児玉郡上里町大御堂)の末寺になったとのことだ。
隨雲寺には羊太夫と関連する伝承があるとのことなのだが,その伝承は,中興開山の頃に結合されたものかもしれない。
隨雲寺は,愛宕山宝蔵院(本尊・勝軍地蔵)と正覚院(本尊・千手観世音菩薩)を合併している。正覚寺は,高麗氏と関係する寺院。高麗氏は,馬庭氏の後裔とされているので,馬庭氏も(山名氏も同様に)朝廷の命令により屯田・支配した渡来系武人一族の子孫だったと考えられる。隨雲寺の山門は,正覚院から移したものとのこと。

寺紋からすると新田氏または山名氏と関係する寺院のように見える。


IMG_3555.JPG
隨雲寺入口付近


IMG_3587.JPG
山門


IMG_3588.JPG
山門の彫刻(一部)


IMG_3590.JPG
山門の彫刻(一部)


IMG_3591.JPG
山門の彫刻(一部)


IMG_3585.JPG
本堂


IMG_3586.JPG
庚申塔など


IMG_3594.JPG
町はずれの石仏



 上州まったり紀行:高崎市吉井町馬庭・疋田山随雲寺



この記事へのコメント