高崎市吉井町馬庭:飯玉神社と御穴塚古墳

先日,飯玉神社(群馬県高崎市吉井町馬庭)を参拝した。祭神は,宇気母智大神。

飯玉神社の創建等の詳細は不詳。一般的には鎌倉時代頃に創建の神社だと考えられている。弘治年間に馬庭豊前守重直が再建したとされている。現在の社殿は昭和35年(1960年)に再建されたもの。

創健時において現在と同じ場所に社殿が建築されていたのかどうかは不明。私見としては,元は本殿が存在せず,社殿背後に存在する古墳石室を拝するために拝殿が設けられていたと考える。
つまり,創建当初においては,古墳被葬者の子孫が祖先を崇敬するための氏神としての神社であり,その被葬者は,無論,古代の山名氏の祖先の一族または家臣のような武人だったのではないかと想像している。

この古墳は,御穴塚古墳(入野村3号墳)と呼ばれる直径約10mの円墳で,横穴式石室が開口している。
石室の奥壁には仏像が置かれている。この仏像に関しては,一般的には後代に二次利用として石室内に置かれたもので古墳造営当時からあるものではないと考えられている。妙見菩薩のように見えるが,よくわからない。

御穴塚古墳の墳丘の上部には石室玄室の天井石が露出している。
元はその天井石の上に墳丘があり,もっと高さのある古墳だったのだろう。また,現在の本殿付近に石室羨道部があったとすれば,墳丘の直径が現在より大きなものだった可能性がある。


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鳥居


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拝殿


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本殿


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飯玉神社之由緒


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境内社(水神社)


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境内社(菅原神社・住吉神社)


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北東の方から見た御穴塚古墳


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北西の方から見た御穴塚古墳


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西の方から見た石室開口部付近


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東の方から見た石室開口部付近


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万葉歌碑
(「多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに」)


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上信電鉄上信線馬庭駅



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