茨城県稲敷郡美浦村木原:大須賀津古墳群
2023年1月中旬のことだが,大須賀津古墳群(茨城県稲敷郡美浦村木原)の残存古墳の所在地を見学した。
大須賀津古墳群に関しては,美浦村史編さん委員会編『美浦村史研究6号』(平成2年3月)の31~32頁に詳細な解説がある。
ただし,『美浦村史研究6号』においては5号墳(将監塚)としている古墳は,現在では茂呂根本台古墳群の2号墳(将監塚)とする見解が多く,また,『美浦村史研究6号』においては6号墳(根火山大日塚古墳)としている古墳は,現在では木原白旗古墳群の10号墳とする見解が多い。いばらきデジタルマップ上の表示もそのようになっている。
『美浦村史研究6号』の31~32頁によれば,大須賀津古墳群は,元は多数の古墳によって構成される古墳群だったけれども,現在でも残されているのは,大塚とも呼ばれる2号墳(径37.4mの円墳),その陪墳とも呼ばれる3号墳(径13.5m・高さ1.2mの円墳),御賓塚とも呼ばれる4号墳(径26.4m・高さ4.5mの円墳)だけとされている。
2号墳及び3号墳の所在地は,東海漬物株式会社茨城工場(茨城県稲敷郡美浦村木原)の南西に位置する小山の頂上付近のはずなのだが,通行可能な道がないので,その見学を断念した。2号墳の墳頂には宇津木所左衛門家の氏神が祀られているとのこと。
2号墳及び3号墳所在地のすぐ西側(東海漬物株式会社茨城工場敷地の南)には壁土塚と呼ばれる古墳があったけれども,既に隠滅している。
4号墳の所在地も同じく通行可能な道がないので,その見学を断念した。
なお,『美浦村史研究6号』の32頁によれば,4号墳は,明治時代に発掘され,出土した石棺材が土木工事に使用されたとの伝承があるそうなので,現在でも墳丘が残されているかどうかはわからない。
関東農産株式会社(茨城県稲敷郡美浦村木原)の敷地内にあった山神塚と勢至塚と呼ばれる古墳は,開発により削平され,現在では隠滅している。
タナカグループ研修所(茨城県稲敷郡美浦村木原)の敷地内にあった大日塚と呼ばれる古墳は,開発により削平され,現在では隠滅している。2023年7月30日現在,いばらきデジタルマップ上では,タナカグループ研修所所在地が「花王霞ヶ浦研修所」と表示されている。古いデータのまま更新されていないのだろう。
西の方から見た大日塚(隠滅)の所在地付近
(実際の所在地は林の中の尾根上・建物所在地付近)
東の方から見た4号墳所在地付近
(写真中央奥の森の中にある舌状台地先端付近)
いばらきデジタルマップ上では遺跡包蔵地とはされていないけれども,大須賀津古墳群の所在地となっている台地には人工的に掘削・変形されたとみられる地形部分が多い。その多くは,鎌倉時代以降の武士の館跡なのではないかと思うが,場所それ自体としては,古代から(朝廷の命により進攻・屯田した軍のための)要塞や砦として使用されてきたのではないかと想像される。
タナカグループ研修所敷地の東側段丘斜面~段丘裾付近にもそのような地形部分がある。
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