茨城県稲敷郡美浦村木原:木原根火山遺跡と根火山大日塚古墳

2023年1月初旬のことだが,木原根火山遺跡(茨城県稲敷郡美浦村木原)を見学した。

木原根火山遺跡には根火山大日塚古墳と呼ばれる東西約16m×南北約15m・高さ2.5mの方墳がある。この古墳は,木原白旗古墳群の10号墳として扱われることが多いが,美浦村史編さん委員会編『美浦村史研究6号』(平成2年3月)の31~32頁では大須賀津古墳群の6号墳としている。

遺跡所在地の西側部分には不明瞭な階段状になった地形部分があり,中世に城として利用されていた場所とされている。
ざっと見たところ,遺跡所在地の北東側にも土塁の残滓ではないかと疑われるような地形部分があるが,この地形部分は江戸時代以降に大日塚参道または金毘羅神社参道として設けられたものかもしれず,よくわからない。

遺跡内には金毘羅様が祀られている。敬意を表する趣旨で参拝してから遺跡を拝見した。


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西の方から見た木原根火山遺跡所在地付近


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木原根火山遺跡入口付近から見える筑波山と霞ヶ浦


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木原根火山遺跡への西側入口付近


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説明板


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西の方から見た木原根火山遺跡所在地


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木原根火山遺跡北西側付近


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中世の城跡とされている部分の一部


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同上


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西の方から見た木原根火山遺跡中央部付近


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同上
(中央奥が根火山大日塚古墳所在地)
(右手奥が金毘羅神社鎮座地)


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金毘羅様


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西の方から見た根火山大日塚古墳


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同上


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大日如来


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五輪塔残骸?


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日月板碑
(古墳由来石材)


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北西の方から見た根火山大日塚古墳


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北東の方から見た根火山大日塚古墳


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東の方から見た根火山大日塚古墳


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木原根火山遺跡南東側付近の様子


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巨樹


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警告板


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木原根火山遺跡東端付近の様子


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東の方から見た木原根火山遺跡東端部分付近


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木原根火山遺跡北東側の様子


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同上


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金毘羅神社の参道?


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木原根火山遺跡への東側入口付近


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筑波山


木原根火山遺跡に関し,物見台跡という見解が一般的かもしれないが,烽火台として利用されていたのではないかという見解もある。
仮に烽火台だったとして,烽火が通信手段の1つである以上,相手なしに烽火をあげることはあり得ないことなので,その通信相手が誰だったのかが問題となり得る。
豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすまでの間の木原の地(木原城)の支配者は,常陸江戸崎土岐氏の家臣・近藤氏だった。土岐氏が敗北した後には蘆名氏。
この遺跡の所在地からよく見えるのは筑波山方面。
烽火による通信を行っていたと仮定した場合,その相手は,小田氏なのか,佐竹氏(宍戸氏)なのか・・・



 埼群古墳館別館:美浦村根火山大日塚古墳

 余湖:根火山遺跡



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