牛久市城中町:得月院再訪
2023年7月2日のことだが,得月院(茨城県牛久市城中町)を再訪した。
得月院の本堂裏にある墓地区画には妙印尼輝子(法名得月院殿月海妙院大姉)の墓所と小川芋銭の墓所がある。妙印尼輝子の墓所は,牛久市の文化財に指定されており,これらの墓所を含むウォーキングコースが牛久市の重要な観光コースの一部ともなっているので,合掌した上で拝見した。
また,この墓地区画の奥からは河童の碑方向に進む遊歩道があるのだが,その遊歩道入口付近には結構立派な空堀と土塁が残されている。
この空堀と土塁が牛久城の一部として構築されたものなのかどうかはよくわからない。妙印尼輝子の墓所の防護のためのものとして設けられたということはあり得ることだ。
なお,得月院の境内地は,牛久城の大手門跡の内側にある「中城」と呼ばれる区画の中に含まれている。
得月院本堂
得月院五輪塔
得月院五輪塔の説明板
小川芋銭の墓所
墓地区画で咲いていたユリの花
同上
かっぱの碑方面への遊歩道入口付近
空堀と土塁の一部
土塁の一部
得月院境内にある庚申塚
庚申塚の上にある妙見菩薩と庚申塔
庚申塚の近くにある石棺材
[追記:2024年5月26日]
2024年5月25日に得月院に寄ったところ,庚申塚の近くにある石棺材が置かれている場所が少し整理されていた。その写真を追加する。
得月院本堂
石棺材
同上
[追記:2024年9月24日]
得月院の境内にある石棺材がどこで出土したものなのかずっと気になっていたのだが,塙泉嶺編『稲敷郡郷土史』(大正15年)の298頁下段に関連する記述があるのを見つけた。その記述とは,「義良親王墓」に関する記述であり,「大字牛久八坂神社の南方数十間の所にあり,先年之を発掘して見たるに四尺に九尺位の石室にて中に古刀及玉五六個ありしという 石と石との間に朱を塗る 其石は大字越中得月院に保存せり」と書かれている。
この義良親王とは,南北朝時代の後村上天皇のことを指すと思われる。
八坂神社(茨城県牛久市城中町)の「南方数十間の所」の範囲内に存在する古墳としては,愛宕神社古墳があるが,『稲敷郡郷土史』に書かれている義良親王墓と同一の墳丘墓であるかどうかは不明。
牛久市観光協会:得月院
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