笠間市笠間:笠間城跡(その1)
2022年12月下旬のことだが,笠間城跡(茨城県笠間市笠間)を見学した。
笠間城は,承久元年(1219年)に笠間時朝が佐白山上に築城したのがはじまりとされている。笠間氏が宇都宮氏に攻められて滅びた後,領主が何度か交替となったが,江戸時代中期~廃藩の時期には牧野氏が領主となった。そのため,現在の笠間城跡は,戦国時代以降に大きく改変・拡張されれた城郭の姿を示すものだと一般に考えられている。
現在,城跡と周辺遺跡の発掘調査が進められており,従来よりも相当正確な測量図面と笠間城復元図が公式のものとしていずれ公開されることになるのだろうと予想されるが,現時点で比較的容易に入手可能な図面は,茨城城郭研究会編『図説茨城の城郭【改訂版】』国書刊行会(改訂版2017年)の116~117頁にある。
東日本大震災の前に笠間城を訪問したことがある。その訪問の際にはあまり写真を撮らなかった。その後,東日本大震災や台風による倒木の影響により,千人溜り跡にある駐車場の使用が停止となり,天守曲輪が立入禁止となっていた。現在では駐車場の使用停止が解除され,使用可能となっている。しかし,天守曲輪の大部分が立入禁止のままなので,佐志能神社を参拝できない。
笠間城跡には土塁跡と石垣の一部などが残されているけれども,建築物は何もない。ただし,笠間城の八幡台櫓だったとされる建物が日蓮宗・長耀山真浄寺(茨城県笠間市笠間)の境内地に移築され,七面堂と呼ばれる御堂となっている。
なお,天守曲輪の南東側尾根を下ったところに石倉と呼ばれる場所があるのだが,そこまで行ったことがないので,その場所の現況はわからない。
千人溜り跡にある駐車場にクルマを停めて笠間城跡を見学。駐車場から西の方(佐白山の北側)に進む遊歩道を歩き,稲荷駐車場からのハイキングコースとの合流点付近から南東の方に向かって山を登り,笠間城跡を見学し,佐志能神社を石段下から参拝したあと,大手門跡付近を通る道を下って駐車場に戻り,更に徒歩で移動して笠間百坊旧跡(正福寺跡)を見学した。
駐車場入口付近と千人溜り跡の標柱
(写真左手奥は笠間百坊旧跡入口付近)
駐車場にある笠間城跡の説明板
佐白山観光道路完成之碑
佐白山北側の遊歩道入口付近
遊歩道の様子
笠間城北西側遺構の一部?
佐白山北側の斜面(一部)
遊歩道(続き)
ハイキングコースとの合流点付近にある標識
ハイキングコースとの合流点付近
佐白山北西側の斜面(一部)
笠間城跡への登り道入口付近
登り道
登り道(続き)
登り道終点付近
堀切跡の一部?
北西の方から見た宍ヶ崎櫓跡付近
南東の方から見た宍ヶ崎櫓跡付近
同上
宍ヶ崎櫓跡南東側の土塁跡
(北西の方から見た様子)
同上
(南東の方から見た様子)
関東ふれあいの路の標識
八幡台櫓跡北西側土塁の北西端付近
トンネルの方に分岐する道
八幡台櫓跡北西側土塁
(北西の方から見た様子)
八幡台櫓跡北西側土塁
(北東の方から見た様子)
八幡台櫓跡北西側土塁上の四阿
四阿付近から見た本丸内の様子
八幡台櫓跡北西側土塁上の様子
(北西の方から見た様子)
八幡台櫓跡北西側土塁南側の斜面の様子
八幡台櫓跡北西側土塁上の様子
(八幡台櫓跡付近から見た様子)
八幡台櫓跡付近
八幡台櫓跡碑
八幡台櫓跡南東側の土塁跡
南東の方から見た八幡台櫓跡基壇部
八幡台櫓跡とその南東側土塁跡
(南東の方から見た様子)
本丸東側にある土塁跡
千歳松碑
千歳松
笠間市:笠間城跡
笠間市:笠間城跡保存整備調査事業
玄松子:佐志能神社
ランキングの項目名はシステムによって自動的に設定される仕様となっており、固定的ではありません。任意の設定ができない仕様になっています。そのため,記事内容と関係のない項目名が示されることがあります。
項目名のアイコンをクリックした場合,PCやスマートフォンの設定をポップアップ広告禁止に設定していないと多数の商業宣伝広告が強制されることがあります。禁止に設定しておけば,商業宣伝広告の表示なしでブラウズできます。ただし,ブラウザによっては禁止設定が自動的に解除されてしまうことがありますので,ご注意ください。
この記事へのコメント