つくば市金田:金田城跡(その3)
2022年12月中旬のことだが,金田城跡(茨城県つくば市金田)を見学した。
金田城跡に関しては,茨城城郭研究会編『図説茨城の城郭 [改訂版]』国書刊行会(2017年)の196~197頁に解説がある。
金田城跡は,主曲輪のみの単郭の城のようなのだが,その北側(北側の空堀の更に北側)にも土壇的な部分が続いている。ただ,完成された土壇ではなく,自然の山の一部を少し整形しただけの地形残骸のようなものかもしれない。
主曲輪北側の空堀東側出口付近(腰曲輪北東側部分)~土壇的な部分の東側面は民家敷地内となっているため,近くまでアクセスできない。そこで,道なりにその北側の方に回り込んでみると,遊歩道のようなものがあったので,少し歩いてみたところ,土壇上部分の上に出ることができた。
北の方から見た主曲輪北側の土壇状部分
(向こう側は空堀をはさんだ主曲輪北端付近)
土壇状の部分から見た主曲輪北側の空堀
土壇状部分の上部
土壇状部分の更に北側には小さな山があり,その頂上付近には金田古墳と呼ばれる古墳がある。この古墳の墳頂付近は少し窪んでおり,烽火台の名残りだとされている。
金田古墳は,前方後円墳だとされてきた。例えば,桜村教育委員会編『桜村史(上巻)』(昭和57年)の108~110頁は,全長約70m,後円部径35m,前方部長40m・前方部高さ3mの前方後円墳としている。
この大きさの古墳であるためには,金田古墳所在地となっている小山の上部全体を墳丘とし,かつ,山頂付近にある円墳の墳丘様のものに関しては,室町時代~戦国時代に付加された烽火台基壇部としてこれを理解する必要があることになる。前方後円墳の後円部墳頂上に更に円墳様の構造物が付加されている例としては,大生古墳群の鹿見塚古墳(茨城県潮来市大生)がある。
明治初年に発掘され,石棺破片,長さ90cmの直刀,模造玉類が出土しているとのこと。ただし,それらが出土した正確な場所がどこなのかは明らかではない。現在墳丘と考えられている部分から出土したことを示す資料はないので,この小山のどこかから出土したのだろうと考えられる。
なお,出土したとされる石棺破片がどのようなものなのかは不明であり,出土した部分以外の石棺材がどうなったのかも不明なのだが,通常の箱式石棺を想定した場合,例えば,金田古墳のすぐ近くにある馬頭観世音碑に転用されて現存しているという可能性は否定されないだろうと思う。
しかし,荒友里子「茨城県つくば市金酪吉墳の測量調査」筑波大学先史学・考古学研究23巻105~113頁(2012年3月)の108頁は,測量調査の結果を踏まえ,径約20m・高さ2m強の円墳としている。
土壇状の部分の更に北側にある金田古墳所在地
南の方から見た金田古墳所在地付近
金田古墳
金田古墳の墳頂付近
金田古墳の墳頂にある窪み部分
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