栃木県芳賀郡益子町芦沼~小宅:小宅古墳群再々訪(その3)

2022年12月下旬のことだが,小宅古墳群(栃木県芳賀郡益子町芦沼~同町小宅)を再訪し,これまで見学していなかった小宅27号墳~小宅22号墳を見学した。
この日は,亀岡八幡宮の境内地付近にある小宅13号墳~小宅18号墳(小宅16号墳と小宅17号墳は既に隠滅)も見学した。


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亀岡八幡宮の参道


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参道南西側にある竹林
(小宅19号墳の所在地付近)


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亀岡八幡宮参道の西側にある散策路


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小宅18号墳の所在地


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西の方から見た小宅18号墳


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北の方から見た小宅18号墳


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小宅14号墳の所在地


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北の方から見た小宅14号墳


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北西の方から見た小宅14号墳


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南西の方から見た小宅14号墳


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北の方から見た小宅15号墳


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東の方から見た小宅15号墳


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西の方から見た小宅14号墳(左)と小宅15号墳(右)


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亀岡八幡宮境内地の北西側~北側を通る小路


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小宅13号墳の前方部


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小宅13号墳の後円部


茨城県指定文化財(史跡)としての小宅古墳群の範囲外になるが,亀岡八幡宮の北東にある交差点付近には山守塚古墳とも呼ばれる小宅20号墳があった。この小宅20号墳は,径44m・高さ5mのとても大きな円墳だった。
しかし,ゴルフ場造成のために削平され,隠滅したということになっている。ゴルフ場造成のための削平であれば発掘調査報告書がどこかにあるはずなのだけれども,現時点ではまだ発見できていない。とはいえ,昭和60年(1985年)に益子町教育委員会によって実施された発掘調査の結果は,益子町史編さん委員会編『益子町史 第1巻 考古資料編』(昭和62年)の353頁に収載されている。それによると,かなり大きな石室があったと推定されるものの,石室材及び副葬品が全部盗掘にとよって持ち去らており,墓道と周溝から土師器片と鉄製品の一部が発見されただけのようだ。抜き取られた石室材は,近隣のどこかに現存しているのではないかと思う。

亀岡八幡宮境内地の北端付近から山守塚古墳まで続く山道があり,その山道は現在でも存在しているので歩いてみた。

該当する場所の現況は,ゴルフ場ではなく太陽光パネル群の敷地の一部となっている。古墳分布図に記載されている道路もかつて通っていた場所とは異なる場所を通っていると判断した。古墳所在地だったと考えられる場所の周囲にはフェンスが設置されており,現地に立ち入ることができない。
念のため,墳丘が削平されずに残存しており,道路の所在地も元のまま(古墳分布図に記載のとおり)だと仮定した場合の古墳所在地付近も(道路から見える範囲内で)覗いてみたけれども,やはり何もなかった。

推測としては,山守塚が亀岡八幡宮の真の御神体であり,おそらく,源義家が東征の途中,武具などを埋納し,武運を祈願する塚として二次利用された古墳だったのだろう。それゆえ,「山守」の塚となる。

小宅20号墳(山守塚古墳)が削平されてしまったことは,まことに残念なことだ。「山守がなくなってしまったのでは,何かあるのではないか」と不安に思う人もいなくなってしまったのだろう。


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亀岡八幡宮境内地の北側から北東方向に進む小路


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現在の交差点付近の様子(北側部分)


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同上(南東側部分)


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同上(北東側部分)



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