名取市愛島塩手:中将藤原実方の墓所と佐具叡神社
過日,中将藤原実方の墓所(宮城県名取市愛島塩手)を見学した。
藤原実方は,『源氏物語』の光源氏のモデルとされている。藤原氏一族間の権力争いの中で奥州に左遷されたが,落馬して亡くなったと伝承されているのだそうだ。よく出来過ぎた話なので,真実かどうかについては若干疑問がある。事故で亡くなった原因について,あとからもっともらしい理由づけをしたのではないかというような気もする。
むしろ,現実にありそうなストーリーとしては,任期を終えて都に帰ってくると面倒なので,その前に始末しようと考えた勢力に暗殺されてしまったというようなことがあったのではないかと疑いたくなる。
それはさておき,藤原実方のことはかなり長い間忘れ去られた存在になっていたけれども,西行法師が藤原実方の墓所なる場所を見つけ出し,歌を詠んだことから広く知られるようになったらしい。
藤原実方の墓所とされる場所には西行法師の歌碑と松尾芭蕉の句碑がある。
普通乗用車であれば2~3台程度駐車可能な観光客用駐車場があったのでそこにクルマを停め,そこから先は徒歩で往復。
中将藤原実方の墓所入口にある実方橋
水路
芭蕉句碑建立の経緯説明碑
かたみのすすき
同上
小路
中将藤原実方の墓所所在地付近
中将藤原実方の墓所
(現況高さ約30cmの塚)
中将藤原実方の墓所の説明板
中将藤原実方の墓所付近から狭い枝道が伸びており,道なりに進むと,谷のようなところに小祠がある。
この小祠は,佐具叡神社が最初の鎮座地から遷されて鎮座していた場所であることを示すものとのこと。小祠の前には式内社佐具叡神社の元鎮座地であることを示す標柱が立てられており,その側面に説明文がある。
現在,佐具叡神社は,佐倍乃神社(宮城県名取市愛島笠島)に合祀され,同社の境内社の1つとなっている。
この小祠のすぐ裏に円墳様の塚がある。単なる土塊なのかもしれないが,古墳の可能性もあると考え,名取市歴史民俗資料館に寄り,担当の学芸員の方に質問した。しかし,そのような塚があるということは「把握していない」とのことだった。
この小祠の西側の細長い尾根上には何となく古墳のようにも見える地形部分がある。近くまで寄っていないので錯覚かもしれないが,このあたり一帯に古墳群が存在した可能性は否定できないのではないかというような印象を受けた。
更に,この小祠の東側の尾根上には佐具叡神社磐境地がある。この場所が佐具叡神社の最初の鎮座地のようだ。すると,中将藤原実方の墓所があるあたりは,元は佐具叡神社の鳥居または参道入口があった場所ということになるのかもしれない。
参道があったのでその場所まで登ってみた。
参拝した上で拝見したところ,直観的には,破壊された古墳石室の残骸のようにも思える。
発掘調査等が行われたことはないとのことなので,正確なところは何もわからない。
なお,この地区内には,横穴墓等の遺跡包蔵地があることは知られている。
小祠(佐具叡神社元鎮座地)
標柱側面の説明文
小祠の左手奥にある円墳様の塚状地形
小祠付近から見た西側尾根上の様子
佐具叡神社磐境地への参道
佐具叡神社磐境地
(南の方から見た様子)
佐具叡神社磐境地
(北の方から見た様子)
佐具叡神社磐境地
(斜め前から見た様子)
佐具叡神社磐境地の石材
中将藤原実方の墓所駐車場の西側には腰掛石なるものがある。元は,現在の場所の南西約500mのところにあったけれども,現在の場所に移転されたものとのこと。
石材それ自体としては,古墳石室由来の石材の可能性もあるのではないかと思った。
腰掛石と説明板
腰掛石
腰掛石所在地の南西約500mのところには奇妙な人工的な地形が存在するのが見えた。城跡か砦跡の残骸かと思ったのだが,そうではないらしい。この場所に関しても,名取市歴史民俗資料館で説明を受けた。
腰掛石から南西約500mの場所付近の様子
名取市歴史民俗資料館
名取市観光物産協会:中将藤原朝臣実方の墓
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