山武市殿台:伊藤左千夫の生家など

過日,伊藤左千夫の生家(千葉県山武市殿台)を見学した。伊藤左千夫の生家は,山武市歴史民俗博物館の敷地内にあり,同博物館の一部となっている。

伊藤左千夫の代表作『野菊の墓』は,私が若いころには,松田聖子さん主演で映画化されていた。

原作の『野菊の墓』を読むと,当時は,男性も女性も「自由に生きる」ということが許されず,様々な掟やしがらみに縛られたままで生きるしかなかった時代だったのだということを理解することができる。

直情に訴える単なる恋愛小説の一種としてではなく,「根源的に何が原因となっているのか?」を世間に問う社会小説として読むと,そのように読める。

当時は,(上流階級は別として,一般庶民の社会では)「素直に生きる」ということが許されない・・・という社会だった。


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山武市歴史民俗資料館


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C58のパーツ


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伊藤左千夫生家入口付近


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説明板


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伊藤左千夫の生家


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伊藤左千夫生家のかまど


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茶室・唯眞閣


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茶室碑


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観光案内図


私自身は,これまでの約70年の人生において,どちらかというと少しだけ時代先取り的な生き方をしてきた。

過去の当該の時点では世間の理解を得ることができず,批判・非難されることばかりというような人生だった。

しかし,現在では,世間の誰もが過去の私と同じように考え,過去の私と同じようにして生きている。誰も批判しないし非難もしない。

現在の私は・・・相変わらず,現時点の世間には理解されずに批判されてばかりだ。

損な生き方かもしれないが,「自由に生きる」ということだけは確保してきた。

現時点では世間から理解されなくても,いずれ誰もが「当たり前だ」と思うに決まっているような生き方をしている。

要するに,「少し早すぎる」というだけのことなのだが・・・

だから,伊藤左千夫の作品の中に共感できる部分を見出すことができる。『野菊の墓』を絶賛したという夏目漱石もきっとそうだったのだろうと確信する。

夏目漱石は,相当に世間から虐められた。だから,精神に少し失調をきたすようになった。
夏目漱石は,世間の普通の人の何千倍以上も優れた頭脳の持主だったのだが,当時の世間の人々にはそのことを理解することが全くできない・・・能力があまりにもかけ離れ過ぎていたのだと思う。

さて,伊藤左千夫が生きた時代とは,このようなチープな作品を公表するだけで相当の度胸が必要だった。

ひとつまちがえれば殺され,度胸どころか読経される躯になっているような時代だったというべきか・・・

しかし,それでも作品は人々によって読まれた。

「奴隷とあまり変わらないような平民であっても自分の意志と自由があるはずだ」という素朴な観念,それが読者の心底にあったのだろうと思う。

身分や社会的立場とは無関係に,誰でも「自分が好きな人と一緒になりたい」と感じるのは,若い人々の間ではごく自然な感情だと思う。



 千葉県教育委員会:歌人伊藤左千夫の生家



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