山武市戸田~麻生新田:胡麻手台古墳群

現在,胡麻手台古墳群の16号墳として財団法人千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史 資料編 考古2(弥生・古墳時代)』の439~441頁,財団法人千葉県文化財センター編『千葉県文化財センター調査報告書第272号 山武町胡麻手台16号墳発掘調査報告書』(平成6年度)の4頁,財団法人山武都市文化財センター編『千葉県山武町胡麻手台古墳群』(1991年)の5頁に記載されているところに深刻な誤りが含まれていることは,「山武市戸田:根崎古墳群(その1)」の中で既に述べた。
これらの資料の中で「胡麻手台16号墳」とされている大きな前方後円墳は,胡麻手台16号墳ではなく,根崎12号墳に該当する。真の胡麻手台16号墳は,もっと北の方にあった隠滅古墳(小規模円墳)だ。

そこで,真の胡麻手台古墳群(千葉県山武市戸田~同県同市麻生新田)の範囲を確認することにした。

根崎古墳群に属する古墳を全て排除し,残りの古墳の所在地を示す資料を探してみると,概ね同一の分布を示すものとして,山武町教育委員会編『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』(1975年)の16頁の分布図と千葉県文化財保護協会編『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』(平成2年3月)の図25Aがある。
それゆえ,これらの資料に示された地理的範囲をもって胡麻手台古墳群とすべきだと考える。

これらの資料に示されている古墳分布は,2023年3月21日現在のちば情報マップ(埋蔵文化財包蔵地)の表示にも一応反映されている。ただし,かなり不正確に反映されているようで,特に古墳群所在地の南端付近に所在していた古墳に関しては,実際の所在地と相当に異なる地点が表示されている。意図的にそうしているのか,重大な過失によってそうなっているのかはわからない。

埴谷古墳群を構成する古墳の所在地が曖昧になっているという点に関しては,山武市歴史民俗資料館に出向いて直接に説明を受けたが,直接の担当者でさえよくわからないということで,埴谷古墳群を構成する古墳に関する公式の遺跡原簿や遺跡登録簿のようなものも存在しないということだったので,千葉県内で埴谷古墳群を構成する個々の古墳の真の所在地及び附番をまともに認識・理解できている現役公務員は存在しないということになるのだろうと評価し,そのように記録することにした。
なお,その際,現在利用可能な関連資料を全部見せられた。それらの資料は全て既に入手し,検討した上で現地に出向いたので,問題点を全部把握していたつもりなのだが,山武市歴史民俗資料館の担当者の中で問題点に気づいている職員は1人も存在しなかった。
現地の遺構は,その大部分が完全に隠滅しており,今更,民家敷地部分や畜舎敷地部分等を含め該当地域全体の発掘調査でもしない限り,確認しようがない。

胡麻手台古墳群の所在地及び個々の古墳の附番を理解しようとする場合,『千葉県の歴史 資料編 考古2(弥生・古墳時代)』の439~441頁,『千葉県文化財センター調査報告書第272号 山武町胡麻手台16号墳発掘調査報告書』の4頁,『千葉県山武町胡麻手台古墳群』の5頁,平岡和夫『千葉県九十九里地域の古墳研究』(平成元年)の77頁を判断基準としてはならない。

ところが,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図と『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aを比較すると,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aでは附番の記載がほとんどなく,例外的に記載されている附番が『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図の附番と異なっている。
試みに照合すると,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aの「胡麻手台54号墳」及び「胡麻手台55号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図の「胡麻手台1号墳」及び「胡麻手台2号墳」の南に位置し,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図には記載されていない古墳と推定され(『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図にある胡麻手台1号墳,2号墳,4号墳~6号墳は,畜舎及び道路等の建設に伴い全部隠滅),『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aの「胡麻手台37号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図の「胡麻手台47号墳」に一致し,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aの「胡麻手台10号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図の「胡麻手台9号墳」または「胡麻手台13号墳」に一致すると考えられる。

そこで,このブログ記事では,胡麻手台古墳群を構成する古墳の附番に関し,原則として,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図の附番に従うことにした上で,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』に未記載の古墳群南端にある2基の前方後円墳に関しては,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aに従い,「胡麻手台54号墳」及び「胡麻手台55号墳」として理解することにした。

さて,根崎古墳群の6号墳(隠滅した前方後円墳)所在地の北約200mのところに胡麻手台54号墳と3基の円墳が所在している。
その場所は,かなり荒れた山林になっており,立ち入ることが全くできない。しかし,写真ではわかりにくいとはいえ,肉眼で見ると,比較的大きな前方後円墳(胡麻手台54号墳)が残存していることがわかる。
胡麻手台54号墳の西側に並んでいるはずの3基の小円墳に関しては,藪がひどいため,現存するかどうかがわからなかった。

胡麻手台54号墳は,全長30mで,前方部を北の方に向けた前方後円墳とされている。
この胡麻手台54号墳は,『千葉県九十九里地域の古墳研究』の77頁の分布図の「胡麻手台9号墳」及び『千葉県山武町胡麻手台古墳群』(1991年)の5頁の「胡麻手台9号墳」と同一の古墳。


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胡麻手台古墳群所在地南端付近
(左手の林の中が胡麻手台54号墳所在地)


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東の方から見た胡麻手台54号墳所在地


胡麻手台54号墳所在地付近から東の方に入る小路がある。この小路を通って東の方に少し進むと,後円部の一部(墳丘南側の約3分の1)が掘削されていることが明確な胡麻手台55号墳の所在地に至ることができる。道路脇にあるので,容易に見学できる。
胡麻手台54号墳は,全長25mで,前方部を北の方に向けた前方後円墳とされている。
胡麻手台55号墳は,『千葉県九十九里地域の古墳研究』の77頁の分布図の「胡麻手台6号墳」及び『千葉県山武町胡麻手台古墳群』の5頁の「胡麻手台6号墳」と同一の古墳。


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西の方から見た胡麻手台55号墳所在地付近
(左手の塚状地形が残存後円部)


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東の方から見た胡麻手台55号墳所在地付近


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西の方から見た胡麻手台55号墳の後円部


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南西の方から見た胡麻手台55号墳の全景
(右が後円部・左が前方部)


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北西の方から見た胡麻手台55号墳の全景
(右が後円部・左が前方部)


胡麻手台55号墳の北側に3基の円墳が並んでいたが,宅地及び道路とするために掘削され,墳丘の一部が残存しているのは2基分となっている。

これら3基の円墳は,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』に未記載の古墳なのだが,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aの中に記載されている古墳。ただし,附番は不明。
これらの古墳は,『千葉県九十九里地域の古墳研究』の77頁の分布図の(北から順に)「胡麻手台3号墳」,「胡麻手台4号墳」及び「胡麻手台5号墳」並びに『千葉県山武町胡麻手台古墳群』の5頁の(北から順に)「胡麻手台3号墳」,「胡麻手台4号墳」及び「胡麻手台5号墳」と同一の古墳。
このブログ記事では,正式の附番が不明のため,仮に,(北から順に)胡麻手台A号墳,胡麻手台B号墳及び胡麻手台C号墳と呼ぶことにする。
発掘調査の結果,胡麻手台A号墳は直径約20mの円墳,胡麻手台B号墳は直径約28mの円墳,胡麻手台C号墳は直径約25mの円墳とされている。現況は,いずれも残骸程度の状態となっている。

なお,胡麻手台A号墳それ自体が『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』に記載された胡麻手台3号墳(農道により既に一部破壊されている径13.6m・高さ.6mの円墳)に該当するか,または,胡麻手台A号墳の東側の山林内が『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』に記載された胡麻手台3号墳の所在地ではないかと考えられる。

胡麻手台A号墳所在地から北に進む道路の西側は斜面となっているが,大規模に土地造成が実施され,現況は畜舎等となっている。
そのあたりが『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図に記載された胡麻手台1号墳(全長28.6m・高さ3.8mの前方後円墳),胡麻手台2号墳(胡麻手台1号墳と同規模の既に破壊された前方後円墳),胡麻手台4号墳(径12.5m・高さ1.2mの円墳),胡麻手台5号墳(径41.6m・高さ3.9mで二段築成の円墳)及び胡麻手台6号墳(径20.0m・高さ0.6mの円墳)の所在地に該当する。
『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図に記載された胡麻手台5号墳は,胡麻手台古墳群を構成する古墳の中で最大規模のもので,記録されている直径及び高さという客観的な数値からみて非常に大きな古墳だったようだ。比喩的に言えば,そびえたつ富士山のような円墳だったと想像される。
しかし,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図に記載された胡麻手台1号墳,2号墳,4号墳,5号墳及び6号墳は,完全に隠滅しているものと考えられる。
ただし,胡麻手台5号墳の遺構は,畜舎の敷地の一部として,その地下に残骸的に残存している可能性がある。


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胡麻手台C号墳残存部分


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胡麻手台B号墳残存部分?


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南西の方から見た胡麻手台A号墳残存部分


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北の方から見た胡麻手台A号墳残存部分


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北の方から見た胡麻手台A号墳所在地付近


そこから更に北の方に進むと株式会社ムツミ(千葉県山武市戸田)の所在地付近に至る。

この株式会社ムツミの敷地の北西側に位置する耕地内に三角点がある。この三角点こそ,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の16頁の分布図に記載された三角点にほかならない。
この三角点を基準として胡麻手台古墳群の範囲を確定すべことは,言うまでもない。

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三角点所在地


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三角点の標石


三角点から東の方に胡麻手台10号墳(径21.5m・高さ1.2mの円墳)があったが,現在では隠滅している。

三角点の南西の方に胡麻手台8号墳(径17.0m・高さ0.8mの円墳)があったが,現在では隠滅している。もともとほぼ隠滅状態だったらしい。

三角点の北の方に胡麻手台12号墳(径12.0m・高さ0.7mの円墳)があったが,現在では隠滅している。

三角点の西側に位置する山林内に胡麻手台7号墳(径19.2m・高さ0.5mの円墳)及び胡麻手台9号墳(径16.9m・高さ0.6mの円墳)が存在していることになっているが,山林内にアクセスできる道が現在では消滅しているため,確認できなかった。ちなみに,国土地理院の地図にも道として記載されているのだが,現地で地元の方から御教示いただいたところによれば,もともと道はなく,段丘の上と下を移動するための適切な道が他になかったために事実上通行している人があり,その関係で道だと思われていただけだとのこと。
胡麻手台7号墳は,財団法人千葉県文化財センター編『千葉県文化財センター調査報告書第272号 山武町胡麻手台16号墳発掘調査報告書』の3頁の「胡麻手台19号墳」と同一の古墳と思われる。また,胡麻手台8号墳は,財団法人千葉県文化財センター編『千葉県文化財センター調査報告書第272号 山武町胡麻手台16号墳発掘調査報告書』の3頁の「胡麻手台26号墳」と同一の古墳と思われる。


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胡麻手台7号墳と8号墳の所在地付近


胡麻手台7号墳と胡麻手台8号墳所在地の北側の少し凹んだ土地は,現在では小規模な住宅街となっている。その住宅街の所在地内及びその周囲には胡麻手台13号墳~15号墳が存在した。いずれも現在では隠滅していると考えられる。

胡麻手台11号墳は径11m・高さ1.2mの円墳,胡麻手台13号墳は径20.5m・高さ1.9mの円墳,胡麻手台14号墳は径19.5m・高さ1.9mの円墳,胡麻手台15号墳は径16.5m・高さ0.5mの円墳とされている。

胡麻手台11号墳所在地の北に胡麻手台16号墳(径16.0m・高さ0.7mの円墳)があったことになっているけれども,現況では何もなく,普通の畑の一部となっている。胡麻手台16号墳は,既に隠滅している。


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胡麻手台13号墳所在地付近
(立入禁止の柵の手前からズームで撮影)


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胡麻手台11号墳所在地付近


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胡麻手台15号墳所在地付近?



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胡麻手台16号墳所在地付近


胡麻手台16号墳の所在地の北の方には胡麻手台17号墳~胡麻手台36号墳の所在地があるはずなのだが,どの場所もひどい藪になっているか,または,立入禁止となっているため,胡麻手台24号墳,27号墳及び36号墳を除き,墳丘の存否を確認できなかった。

胡麻手台17号墳(径20.5m・高さ1.1mの円墳)の所在地は「畑地」となっているので,既に隠滅している可能性が高い。胡麻手台18号墳(径25.5m・高さ2.5m)の所在地は「山林」となっているのだが,道路から見た限りでは,それくらいの高さの塚状地形が見当たらなかったので,既に隠滅している可能性が高い。

胡麻手台19号墳(径18.0m・高さ1.5mの円墳),胡麻手台20号墳(径17.3m・高さ1.4mの円墳),胡麻手台21号墳(径17.5m・高さ1.5mの円墳),胡麻手台22号墳(径24.0m・高さ2.9mの円墳),胡麻手台23号墳(径15.4m・高さ2.0mの円墳)の所在地一帯は山林となっており,関係者以外の立入を禁止するための柵と扉が設置されているので,アクセスできない。

胡麻手台24号墳(径15.4m・高さ2.0mの円墳)及び胡麻手台27号墳(全長31.0m・高さ2.6mの前方後円墳)と思われる古墳の墳丘の一部は,道路から少しだけ見えた。
胡麻手台24号墳と胡麻手台27号墳の間にあるはずの胡麻手台25号墳(径23.5m・高さ0.7mの円墳)及び胡麻手台27号墳の東にあるはずの胡麻手台26号墳(径17.7m・高さ0.4mの円墳)は,いずれも既に隠滅しているものと思われる。


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胡麻手台17号墳・18号墳所在地付近


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胡麻手台19号墳~23号墳所在地前の柵扉


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胡麻手台24号墳?


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胡麻手台27号墳?


胡麻手台27号墳と思われる墳丘のようなものから北の方は笹薮がひどい。
この笹薮の中は,胡麻手台31号墳(径17.3m・高さ1.2mの円墳),胡麻手台32号墳(径13.0m・高さ0.9mの円墳),胡麻手台33号墳(1辺16.5m・高さ2.2mの方墳),胡麻手台34号墳(径13.7m・高さ2.0mの円墳),胡麻手台35号墳(径10.0m・高さ0.6mの円墳)の所在地となっているのだが,とにかくアクセスできないので,それらの古墳の現存の有無はわからない。
笹薮さえなければ幾つかの墳丘が見えるだろうと思われる。この場所の道路沿いに墳丘の幾つかが残されていることは,古い撮影日のGoogleストリートビュー画像を検索すると確認できる。

この笹薮だけのような場所の現況においても少し膨らみのようになった地形部分が何となく見える場所がある。胡麻手台29号墳(径10.5m・高さ0.5mの円墳)または胡麻手台30号墳(径14.2m・高さ1.2mの円墳)の残存部分ではないかと思われる。


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胡麻手台29号墳~35号墳の所在地付近


道なりに進むと,千葉県道22号千葉八街横芝線との交差点に至る。ここが胡麻手台古墳群の所在地の北端となる。 ここから北側には猪木内古墳群がある。

ちなみに,猪木内古墳群の更に北に埴谷古墳群がある。埴谷古墳群は15基の古墳で構成さえる古墳群だったが,現在,全ての古墳が隠滅している。
一般に,埴谷古墳群の2号墳だと言われている場所(千葉県山武市横田所在の小関商店の北側にある小規模な林)は古墳ではない。 一般に埴谷2号墳と呼ばれている古墳は,川戸彰氏の命名によるもの。同氏の命名による「埴谷1号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷12号墳(全長42.0m・高さ1.2mの前方後円墳)と一致し,同氏の命名による「埴谷2号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷11号墳(径31.4m・高さ1.1mの円墳)と一致し,同氏の命名による「埴谷3号墳」は『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷10号墳(径22.0m・高さ0.9mの円墳)と一致する。これらの場所の現況は,耕地及び果樹園となっている。
川戸氏の命名とは別に,『千葉県九十九里地域の古墳研究』の79頁にある図33(埴谷古墳群)でも小関商店の北側にある林を「埴谷2号墳」としているが,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の23頁にある分布図内に示されている地形表示の等高線から推測して考えると,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷12号墳(=川戸氏命名の埴谷2号墳)は,小関商店北側にある林よりももっと北西の方に位置していなければならない。
『千葉県九十九里地域の古墳研究』の79頁にある図33(埴谷古墳群)は,誤認により作成されたものと推測される。なお,同図の南の方に表示されている3号墳~5号墳も誤だと言わざるを得ない。『千葉県九十九里地域の古墳研究』の79頁にある図33(埴谷古墳群)は,全体として全く信頼性のない図面となっている。
いずれにしても,小関商店の北側にある小規模な林は,「埴谷2号墳」ではない。

正確には,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷12号墳の所在地は,小関商店の南東約100mの場所であり,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷11号墳は埴谷12号墳の南約50mの場所,『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷10号墳は埴谷11号墳の南東約50mの場所にあった。『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷1号墳~9号墳は,埴谷10号墳の南(八幡神社北東にある十字路交差点付近の北西)にあったけれども,現況は耕地及び道路等となっている。

小関商店の北側にある小規模な林の北の方には『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷13号墳(全長31.0m・高さ2.5mの前方後円墳)と埴谷14号墳(径25.0m・高さ0.8mの円墳)があったが,いずれも隠滅しており,現況は耕地となっている。
『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷13号墳の所在地は,小関商店の北側にある小規模な林の部分ではなく,そこから約50mほど北西に位置する畑の中と推定される。

『千葉県山武郡山武町埋蔵文化財分布調査-第二次 成東川・境川流域の古墳-』の埴谷14号墳の北西に位置するT字路のような場所のすぐ北側には埴谷15号墳(径26.5m・高さ0.7mの円墳)があったが,完全に隠滅しており,現況は耕地となっている。

以上の諸点は,『千葉県所在古墳詳細分布調査報告書』の図25Aの図示によっても完全に肯定される。
この図25A上では,埴谷9号墳,埴谷10号墳,埴谷12号墳及び埴谷13号号墳が現存していることになっているが,現況では全て隠滅している。
要するに,現時点においては,埴谷古墳群を構成する古墳が1基も残されていない。


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猪木内古墳群所在地付近


この交差点を西に折れて道なりに進むと,道路の切通し様の断面の上の方に塚状地形が見える場所がある。たぶん,胡麻手台36号墳(径11.3m・高さ1.2mの円墳)だろうと思う。


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北の方から見た胡麻手台36号墳?


深入りすることは避け,現況の概要を把握することを主たる目的とする調査だった。

結論として,胡麻手台古墳群を構成する残存古墳の中で公道等から目視可能な古墳はごく少数に過ぎない。大多数の古墳は,既に隠滅しているか,または,アクセス不可能な藪の中にある。

そのような状況の中で,胡麻手台54号墳と55号墳は極めて貴重な存在だと言える。文化財保護法の立法趣旨に則り,適切な対応が実施されることが望ましいと考える。


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境川


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西の方から見た胡麻手台古墳群がある台地の一部



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