中野市新野:金鎧山古墳と新野古墳群(その2)
2022年11月下旬のことだが,高遠山古墳(長野県中野市新野)を見学した後,金鎧山古墳と新野古墳群を見学した。
金鎧山古墳及び新野古墳群の所在地を示す分布図は中野市教育委員会編『長野県中野市高遠山古墳発掘調査概報』(平成12年3月)の11頁にある。この分布図によれば,同じ山の尾根上に3基の古墳が並んでおり,下から上の方へと順に新野2号古墳(51番),新野1号古墳(50番),金鎧山古墳(52番)が位置していることになっている。
また,中野市教育委員会編『長野県中野市遺跡詳細分布図』(2006年)の13頁の分布図の左端付近にも新野2号古墳(25番),新野1号古墳(24番),金鎧山古墳(23番)の記載がある。
新野古墳群を構成する円墳と思われる場所を通過して更に尾根道を登ると,大きな円墳が見えてくる。金鎧山古墳に相違ない。
金鎧山古墳は,とても立派な古墳だと思う。中野市指定の文化財(史跡)となっている。
同報告書の13頁によれば,金鎧山古墳は径21m・高さ2.6mの円墳とされている。ただし,他の資料では径17mとするものが多い。
『長野県中野市遺跡詳細分布図』の解説によれば,金鎧山古墳には合掌型石室があり,珠文鏡,五鈴鏡,勾玉,管玉,丸玉,小玉,白玉,貝輪,剣,直刀,矛,鍼,斧頭,鋸,砥石,環鈴,鍍具,留金具,土師器,須恵器,人骨等が出土したとのこと。
かなり高い地位にあった渡来系の武人であり,朝廷の命によりこの地を屯田・支配した者の墓所ではないかと思う。
東の方から見た金鎧山古墳所在地付近
金鎧山古墳の説明板
東の方から見た墳丘
北東の方から見た墳丘
墳頂付近
墳頂にある大日如来?
主体部付近?
西の方から見た墳丘
南西の方から見た墳丘
金鎧山古墳所在地から西側の森林
南東の方から見た金鎧山古墳所在地付近
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