中野市新野:中山晋平記念館など
2022年11月下旬のことだが,中山晋平記念館(長野県中野市新野)を訪問し,同記念館とその裏にある中山晋平の生家を見学した。
中山晋平に関しては,野口雨情記念館(茨城県北茨城市磯原町)に展示されている資料等を通じて少しは知っていたが,中山晋平に関してまとめて知識を得る機会はこれが初めて。勉強になった。
中山晋平記念館の入口前付近には,野口雨情記念館の入口前付近と同様,シャボン玉が出てくる仕掛けのあるオブジェがあった。
館内では,案内してくれた女性係員の方が中山晋平ゆかりのピアノを弾いて演奏するというので,「ゴンドラの唄」をリクエストした。
心にしみる名曲の1つだと思う。
ただし,ノスタルジアとは無縁の人にとってはつまらない曲かもしれない。
このあと,記念館の担当者にお願いして記念館の駐車場にクルマを停めたまま,周辺の遺跡等を見学した。
中山晋平記念館入口付近
中山晋平之像
シャボン玉が出る仕掛けのあるタヌキ
中山晋平の生家
中山晋平が寄贈したポンプ車
ポンプ車の説明板
中野小唄碑
ガイドマップ
中山晋平が作曲した楽曲や野口雨情がつくった詩のような著作物が文化財の一種として理解されることは珍しい。それはつくられた時代が現在の時点に近すぎるからだ。しかし,年月の経過とともに文化財の一種として理解されるようになるだろう。特に著作権法に定める権利保護期間が経過した後は,当の本人及びその遺族の私的財産権の保護としてではなく,公共財の一種である文化財としての法的保護を考える必要性が出てくる。
これは,突如としてそうなるのではなく,もともとそのような法的性質をもっていると理解するしかない。
「なぜそうなのか?」を検討し,そのメカニズムを考究・解明するのが本来の法学者の仕事だ。
同様のことは,バラやランの交配園芸品種についても言える。現時点では単なる品種であり,商品の一種に過ぎないかもしれないが,ある時点における文化現象の結晶の1つであることは疑いようがない。
公共財である文化財(天然記念物)として保護されている野生動植物は,それが図案化されるとたちまち私権の一種である著作権保護の対象となり得る。
遺跡やその出土物もまた同じ。直接的には考古学や歴史学の対象となるが,遺跡や出土物は,(それ自体として私権の対象となっている場合を含め)公共財そのものなのだ。
このような研究課題と取り組もうとする場合,事柄の本質上,多人数の研究者による共同研究では全くダメで,同一人が同一の脳でこれらの問題を思考しなければいけない。そうでなければ論理的整合性を維持できない。
しかし,上記の例のような複数の異なる分野にわたる法的問題に関し,これを単一の概念によって理解されるべき事柄の異なる多様な現象形態として論理的整合性を維持して丁寧に検討できる知的能力をもつ法学者は,世界中探してもほとんどいないのではないかと思う。
そもそも,(文化財に限らず)考察対象それ自体に関する十分に豊富な知識をもっている法学者や裁判官は,滅多にいない。
中山晋平記念館
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