館林市城町:館林市第二資料館など
過日,館林市第二資料館(群馬県館林市城町)を訪問し,同所に保存されている旧上毛モスリン株式会社の事務所棟及び受電室壁や田山花袋旧居等を見学した。
旧上毛モスリン株式会社関連の建築物は,明治時代の殖産興業洋風建築で,当時における日本国の基幹産業だった絹の製造・流通・輸出のための産業複合体のようなものの一部を構成している。関東地方ではどこでも桑が栽培され,絹が生産されたけれども,群馬県では特に力を入れて育成された産業部門だということが言えそうだ。当時の富裕層のかなり多くが絹産業に属する人々及び絹産業と結合した金融業に属する人々だと言える。
旧上毛モスリン事務所の1階は博物館になっており,公開されている。私が訪問したときには2階は貸し切りになっており,かなり騒がしく,大声を出して何かイベントをやっていた。そのため,2階部分がどのようになっているのかを見学できなかった。
館林市第二資料館入口付近
旧上毛モスリン事務所
旧上毛モスリン事務所の玄関付近
旧上毛モスリン事務所の説明板
1階に展示されている馬車
1階の展示内容など
2階部分への階段
旧上毛モスリン株式会社受電室の壁
旧上毛モスリン株式会社受電室の壁の説明板
田山花袋旧居は,田山花袋が幼少期を過ごした実家建物を解体・移築したものとのこと。
田山家は,館林藩士だったので,江戸時代末期における館林藩である武士が暮らした建物を修復・保存していることにもなる。その意味でも貴重な文化財だと言える。
なお,田山花袋の父は,西南戦争に従軍して死亡している。
一般に,時代劇に登場する武士は,基本的には殿様なので,とても立派な御殿に住んでいることになっているのだが,武士階級に属する者の圧倒的多数は普通の公務員のようなものなので,一般的には,その実際の生活は質素なものだったと推定される。
ところで,人生は,偶然の「運」によって左右されることがしばしばある。田山花袋にはもともと豊かな才能があった。このことは疑いようがない。しかし,もし柳田國夫や尾崎紅葉等との出会いがなかったら,文学者として成功することはなかっただろうと思う。
田山花袋は,モーパッサンから大きな影響を受けた文学者だとされている。私も若い頃にモーパッサン作の小説の翻訳物で入手可能なものを全部読んだ。結論として,リアリズム小説とでもいうべきものとして評価すべきだという感想をもったし,現在でも変わりがない。基本的に,モーパッサンやサマセット・モームのようなタイプの作家の作品が好きで,何度も読んだ。
現代ではモーパッサンの作品またはその翻訳物を読む人がどれだけいるのかわからないけれども,当時における時代状況の中でどのような社会的・文化的役割をもったのかを考えてみると,非常に興味深いものがある。
田山花袋旧居入口付近
田山花袋旧居
田山花袋旧居内の様子(一部)
道路から見た田山花袋旧居
水鉢
道標
水鉢と道標の説明板
館林市第二資料館の向いに田山花袋記念文学館があり,田山花袋と関連する資料等の収蔵・展示している。この田山花袋記念文学館も訪問し,展示物を見学した。
田山花袋記念文学館
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