名取市高舘:秀麓斎

過日,曹洞宗・天苗山秀麓斎(宮城県名取市高舘吉田)を参拝した。本尊は,聖観世音菩薩(利勝観世音菩薩)。
奥州三十三観音霊場第二番札所となっている。

秀麓斎は,延暦17年(798年)に坂上田村麻呂によって創建された非常に古い寺院。大同2年(807年)には天台宗に属し,四天王寺の末寺として大いに栄えたが,奥州藤原氏の滅亡と共に衰退した。
その後,文明年間に曹洞宗・秀麗寺として再興された。
伊達氏から保護を受け,伊達家十三代尚宗の時に寺号を秀麗斎と改めたとのこと。
秀麓斎の境内はとても立派だった。しばし拝見した。


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秀麓斎入口付近


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石段


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山門


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山門内側


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本堂


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本堂と庫裏


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本尊の説明板


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鐘楼


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梵鐘


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天苗七福神


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子安観世音菩薩


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惚け封じころり観世音菩薩


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庭園


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道祖神


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古い供養塔


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地蔵尊など


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地蔵尊


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道中交通安全観世音菩薩


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駐車場脇にあるほほえみ観音


秀麓斎の境内背後の山には高舘城がある。古代~鎌倉時代頃には,全体として,仏教(天台宗)の信仰と領域統治とが一体となった複合施設だったと考えるのが妥当ではないかと思われる。

直近には高舘山古墳の所在地となっている細長い尾根があるので,律令時代よりも前~鎌倉時代頃までの歴史における非常に重要な場所だったことは間違いないと考えられる。

高舘山古墳の被葬者に関し,坂上田村麻呂の軍の枢要な将官の1人だったのではないかとつい考えてしまう。要するに,死しても大きな古墳の被葬者となってこの地を守護しているということを意味している。
利勝観音の「利勝」とは一般的な意味での「勝利」または「戦勝」を意味するのではなく,高舘山古墳の被葬者の生前の名に由来するものであり,菩薩としてこの地を守護しているということを意味しているとも考えられる。

とはいえ,とんでもなく古い時代のことなので,立証の方法がない。



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