高崎市吉井町神保~多胡:仁叟寺上の古墳群(その4)
過日,仁叟寺(群馬県高崎市吉井町神保)の裏(南側)の台地上(台地北西縁付近)にある古墳群を見学した。
この古墳群は,東〆木古墳群(高崎市吉井町神保東志免木)の古墳,その北東側に隣接する古墳群(高崎市吉井町神保寺ノ上)の古墳及び近隣地(高崎市吉井町多胡〆木など)の古墳を含む多数の古墳で構成されるかなり大規模なものだ。
墳丘が残されている古墳が比較的多く,また,現在では墳丘の大部分が削平されている古墳でも古墳の所在地が明確にわかるものが少なくない。
おそらく,古墳群所在地の地下には,隙間が全くないくらいいっぱいに古墳の地下遺構が包蔵されているのだろうと推定される。
将来,この古墳群所在地が史跡公園化されたときには新たに名称が定められる可能性があるので,このブログ記事では仮に仁叟寺上の古墳群と呼称することにする。
個々の古墳の特定についても,将来,新たな名称の下で古墳群としてまとめられ,現在とは別の呼称(古墳番号)が付される可能性がある。そこで,このブログ記事では,個々の古墳の特定のために必要となる過去の呼称を併記して記載することにした。
なお,「遺跡地図番号」とは,「マッピングぐんま」の遺跡ポータルのサイトの中で表示される「市町村遺跡番号」のことを指す。高崎市古墳番号は,『群馬県古墳総覧2017』の中で示されている高崎市所在古墳の通し番号のことを指す。
段丘縁に6基の古墳(墳丘が確認できなかったものを含めると合計7基の古墳または塚)のある場所から更に西側は下りの斜面となっている。
その斜面上には,墳丘の大部分を掘削された古墳の残骸がある。
墳丘の残存部分の裾に石垣を巡らせているため,その場所が古墳所在地であることを視認できる。
遺跡地図番号03158の古墳(T209号墳)の西側斜面上には裾部分を石垣で囲われた方墳状の塚状地形が2基連なっている。
東から順に,遺跡地図番号03155の古墳(直径11.5×9.8m・高さ4.0m)(高崎市1447号墳・T206号墳)及び遺跡地図番号03156の古墳(直径15.2×14.1m・高さ1.4m)(高崎市1448号墳・T207号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
これらの古墳の現況は,いずれも方墳のように見えるけれども,後代の改変によるもので,元は円墳だったのだろうと思われる。
北東の方から見たT206号墳(左)とT207号墳(右)
東の方から見たT206号墳
南の方から見たT206号墳
南東の方から見たT207号墳
南の方から見たT207号墳
南西の方から見たT207号墳(左)とT206号墳(右)
西の方から見たT207号墳
遺跡地図番号03156の古墳(T207号墳)から南西方向に小さなテラスのような構築物が伸びており,その先端には小さな円墳の主体部付近を掘削した残存物のようなものがある。
この小さな古墳の残存物のようなものは,遺跡地図番号03157の古墳(直径11.9×9.1m・高さ2.5m)(高崎市1449号墳・T208号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
なお,現況の高さは2.5mよりもずっと低くなっている。
南西の方から見た遺跡地図番号03157の古墳(T208号墳)(手前)
(中央奥はT207号墳)
西の方から見た遺跡地図番号03157の古墳(T208号墳)(手前)
(中央奥はT207号墳)
東の方から見た遺跡地図番号03157の古墳(T208号墳)の所在地
北東の方から見た遺跡地図番号03157の古墳(T208号墳)の所在地
遺跡地図番号03157の古墳(T208号墳)の北側に隣接して墳頂部が平坦な円墳のような形をした塚状地形がある。遺跡地図番号03167の古墳(直径15.6×14.7m・高さ6.0m)(高崎市1459号墳・T218号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
この古墳の墳丘南西側裾には石祠が祀られている。
南の方から見た遺跡地図番号03167の古墳(T218号墳)
南東の方から見た遺跡地図番号03167の古墳(T218号墳)
遺跡地図番号03167の古墳(T218号墳)の裾付近に祀られている石祠
西の方から見た遺跡地図番号03167の古墳(T218号墳)
北西の方から見た遺跡地図番号03167の古墳(T218号墳)(左手前)
(奥は右から順にT208号墳・T207号墳・T206号墳・T209号墳)
四阿の東側上には小さな塚状地形がある。遺跡地図番号03168の古墳(直径11.2×6.8m・高さ1.0m)(高崎市1460号墳・T219号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
北東の方から見た遺跡地図番号03168の古墳(T219号墳)
(下の方に四阿の屋根が見えている)
この段丘西側斜面の北端付近には四阿がある。その四阿のすぐ南に隣接して石で囲われた方形の区画がある。マッピングぐんまの遺跡ポータルの表示に従えば,この石で囲われた区画付近は,遺跡地図番号03169の古墳(直径10.2×9.3m・高さ0.6m)(高崎市1461号墳・T220号墳)に該当することになる。
ところが,マッピングぐんまの遺跡ポータルには「石室の石が露出している」との付記がある。この記載に示された特徴をもつ場所は,四阿の東側少し上付近にあるのだが,既に隠滅した古墳の石室材を石垣に用いているというだけかもしれない。
どちらが遺跡地図番号03169の古墳(T220号墳)に該当すると判断すべきか悩ましいのだが,現時点では,四阿の南側に隣接した区画内だろうと判断する。
この区画内には石室らしきものが見当たらないのだが,遊歩道を整備する過程で消滅してしまったものかもしれない。
南の方から見た遺跡地図番号03169の古墳(T220号墳)の所在地付近(四阿の脇?)
(写真右上のやや白っぽい塚状地形部分がT219号墳)
四阿の南側にある石垣で囲われた方形の区画(T220号墳?)
(中央奥はT219号墳)
四阿の東側上にある石室残骸のようなものがある場所
(奥はT219号墳)
同上
(奥はT219号墳)
古い供養塔
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