高崎市吉井町神保~多胡:仁叟寺上の古墳群(その3)
過日,仁叟寺(群馬県高崎市吉井町神保)の裏(南側)の台地上(台地北西縁付近)にある古墳群を見学した。
この古墳群は,東〆木古墳群(高崎市吉井町神保東志免木)の古墳,その北東側に隣接する古墳群(高崎市吉井町神保寺ノ上)の古墳及び近隣地(高崎市吉井町多胡〆木など)の古墳を含む多数の古墳で構成されるかなり大規模なものだ。
墳丘が残されている古墳が比較的多く,また,現在では墳丘の大部分が削平されている古墳でも古墳の所在地が明確にわかるものが少なくない。
おそらく,古墳群所在地の地下には,隙間が全くないくらいいっぱいに古墳の地下遺構が包蔵されているのだろうと推定される。
将来,この古墳群所在地が史跡公園化されたときには新たに名称が定められる可能性があるので,このブログ記事では仮に仁叟寺上の古墳群と呼称することにする。
個々の古墳の特定についても,将来,新たな名称の下で古墳群としてまとめられ,現在とは別の呼称(古墳番号)が付される可能性がある。そこで,このブログ記事では,個々の古墳の特定のために必要となる過去の呼称を併記して記載することにした。
なお,「遺跡地図番号」とは,「マッピングぐんま」の遺跡ポータルのサイトの中で表示される「市町村遺跡番号」のことを指す。高崎市古墳番号は,『群馬県古墳総覧2017』の中で示されている高崎市所在古墳の通し番号のことを指す。
遺跡地図番号03164の古墳(T215号墳)の所在地の南側には合計6基の塚状地形(墳丘が確認できなかったものを含めると合計7基の古墳または塚)がある。外形上では東側に3基の古墳が並び,西側に3基の古墳が並んでいるように見える。
なお,このあたりの古墳は,『群馬県古墳総覧2017』の403頁にある拡大図144の中でも「1451~1454」及び「1456」としてまとめられてしまっており,どこにどの古墳が存在するかの詳細情報を得ることができない。
そのため,詳細数値データと逐一照合して遺跡地図番号とそれ以外の識別子とをマッチングする作業を重ねることにした。
無論,誤解・誤認があるかもしれない。後に誤りが発見されたときは,修正する予定。
段丘上に並ぶ合計6基の古墳の中で北東端には,遺跡地図番号03162の古墳(直径14.2×6.3m・高さ1.0m)(高崎市1454号墳・T213号墳)が存在することになっている。その所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
しかし,その所在地には明確に墳丘と判別できるものが見当たらなかった。
見落としかもしれず,あるいは,隠滅したのかもしれない。
南西の方から見たT215号墳(左)・T216号墳(中央)・T217号墳(右)
(写真右端の枯草のあるあたりがT213号墳の所在地?)
南西の方から見たT216号墳(左)とT217号墳(右)
(写真手前付近がT213号墳の所在地?)
北東の方から見た6基の古墳が並ぶ場所付近
(手前の平坦地がT213号墳の所在地?)
遺跡地図番号03162の古墳(T213号墳)の所在地の南側に隣接して,円墳のようなものがある。遺跡地図番号03161の古墳(直径11.8×11.8m・高さ2.0m)(高崎市1453号墳・T212号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
西の方から見た遺跡地図番号03161の古墳(T212号墳)
南西の方から見た遺跡地図番号03161の古墳(T212号墳)
遺跡地図番号03161の古墳(T212号墳)の南側に隣接して,低い塚状地形がある。
マッピングぐんまの遺跡ポータルでは表示されないが,T212号墳とT210号墳との間にある古墳(直径16.2×11.7m)(高崎市1452号墳・T211号墳)に該当するのではないかと判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
南西の方から見た高崎市1452号墳(T211号墳)?
(中央は遺跡地図番号03161の古墳(T212号墳))
(最奥はT215号墳(左)・T216号墳(中央)・T217号墳(右))
西の方から見た高崎市1452号墳(T211号墳)?
高崎市1452号墳(T211号墳)と思われる低い塚状地形の南側に隣接して,円墳のようなものがある。遺跡地図番号03159の古墳(直径14.8×14.7・高さ3.5m)(高崎市1451号墳・T210号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
なお,マッピングぐんまの遺跡ポータルでは「積石塚?」と注記されているので,既に隠滅した古墳から出た石材を積み上げただけの塚(「ヤックラ」の一種)かもしれない。
北西の方から見た遺跡地図番号03159の古墳(T210号墳)
南西の方から見た遺跡地図番号03159の古墳(T210号墳)
6基の塚状地形(墳丘を確認できなかったものを含めると7基の古墳または塚)の中で北西端にはあまり高さのない塚状地形がある。遺跡地図番号03163の古墳(直径12.4×8.0m・高さ1.0m)(高崎市1455号墳・T214号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
この古墳の墳丘上には石室材の一部と思われる石材が露頭している。
(左手奥は,T212号墳・T211号墳・T201号墳)
北の方から見た遺跡地図番号03163の古墳(T214号墳)
遺跡地図番号03163の古墳(T214号墳)の墳丘上に露頭している石材
南西の方から見た遺跡地図番号03163の古墳(T214号墳)
(右奥は,T215号墳)
遺跡地図番号03163の古墳(T214号墳)所在地付近から見た西側斜面下付近の様子
遺跡地図番号03163の古墳(T214号墳)の南側に隣接する段丘縁には塚状地形があり,その墳丘上には石室主体部だった場所かもしれない石材が円形に密集している場所があった。遺跡地図番号03166の古墳(直径12.5×10.0m・高さ1.0m)(高崎市1458号墳・T217号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
北の方から見た遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)
東の方から見た遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)
遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)の墳頂付近の石材が集まっている場所
南の方から見た遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)
西の方から見た遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)
北西の方から見た遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)
遺跡地図番号03166の古墳(T217号墳)の南側に隣接する段丘縁にはやや小さな塚状地形がある。遺跡地図番号03158の古墳(直径10.6×10.1m・高さ4.0m)(高崎市1450号墳・T209号墳)に該当すると判断した。所在地は,「高崎市吉井町神保寺ノ上」となっている。
北の方から見た様子
(右端が遺跡地図番号03158の古墳(T209号墳))
(左端はT211号墳・その奥はT210号墳)
北東の方から見た遺跡地図番号03158の古墳(T209号墳)
遺跡地図番号03158の古墳(T209号墳)所在地の南側~南東側は道路になっている。
その道路をはさんだ更に南側には2基の古墳が見える。
東側の古墳から順に,遺跡地図番号03143の古墳(直径10.0×9.5m・高さ1.0m)(高崎市1435号墳・T194号墳)及び遺跡地図番号03144の古墳(直径13.0×12.5m・高さ2.0m)(高崎市1436号墳・T195号墳)に該当すると判断した。T194号墳とT195号墳の古墳の所在地は,「高崎市吉井町神保東志免木」となっている。
T194号墳とT195号墳の古墳の所在地の現況は雑種地なのだが,畑地と果樹園の奥にあるように見えたので,近くまで寄らなかった。
T194号墳とT195号墳の所在地の南側と西側には藪のようになっている場所がある。その場所には,既に隠滅した古墳の所在地があるほか,複数の古墳が残存しているとのことだ。しかし,現地までアクセス可能な道はなく,容易に探訪できそうにない。
北の方から見たT194号墳とT195号墳
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