高崎市吉井町神保~多胡:仁叟寺上の古墳群(その2)
過日,仁叟寺(群馬県高崎市吉井町神保)の裏(南側)の台地上(台地北西縁付近)にある古墳群を見学した。
この古墳群は,東〆木古墳群(高崎市吉井町神保東志免木)の古墳,その北東側に隣接する古墳群(高崎市吉井町神保寺ノ上)の古墳及び近隣地(高崎市吉井町多胡〆木など)の古墳を含む多数の古墳で構成されるかなり大規模なものだ。
墳丘が残されている古墳が比較的多く,また,現在では墳丘の大部分が削平されている古墳でも古墳の所在地が明確にわかるものが少なくない。
おそらく,古墳群所在地の地下には,隙間が全くないくらいいっぱいに古墳の地下遺構が包蔵されているのだろうと推定される。
将来,この古墳群所在地が史跡公園化されたときには新たに名称が定められる可能性があるので,このブログ記事では仮に仁叟寺上の古墳群と呼称することにする。
個々の古墳の特定についても,将来,新たな名称の下で古墳群としてまとめられ,現在とは別の呼称(古墳番号)が付される可能性がある。そこで,このブログ記事では,個々の古墳の特定のために必要となる過去の呼称を併記して記載することにした。
なお,「遺跡地図番号」とは,「マッピングぐんま」の遺跡ポータルのサイトの中で表示される「市町村遺跡番号」のことを指す。高崎市古墳番号は,『群馬県古墳総覧2017』の中で示されている高崎市所在古墳の通し番号のことを指す。
遺跡地図番号03165の古墳(T216号墳)の南側に隣接してやや大きな塚状地形がある。この塚状地形の北東側は畑とするために掘削されており,とても立派な石室が開口している。
遺跡地図番号03028の古墳(現況直径12.4×10.5m・高さ2.0m)(高崎市1458号墳・T217号墳)に該当すると判断した。所在地は,「群馬県高崎市吉井町多胡〆木」となっている。
北西の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)
北の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)
北東の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)
東の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)
遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)の石室内の様子
南東の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)
東の方から見た遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)の所在地付近
遺跡地図番号03028の古墳(T217号墳)の南側に隣接して,比較的大きな塚状地形が見える。遺跡地図番号03029の古墳(直径17.2×15.7m・高さ2.3m)(高崎市2443号墳・多胡村57号墳)に該当するのだろうと判断した。所在地は,「高崎市吉井町多胡〆木」となっている。
なお,マッピングぐんまの遺跡ポータルでは実際よりも少し南東側にずれた場所が古墳所在地として表示されている。
北の方から見た遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)
北西の方から見た遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)
西の方から見た遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)
南西の方から見た遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)
遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)の南側に隣接して,円形の塚状地形が見える。遺跡地図番号03030の古墳(直径17.0×14.9m・高さ1.5m)(高崎市2449号墳・多胡村63号墳)に該当するのだろうと判断した。所在地は,「高崎市吉井町多胡〆木」となっている。
北の方から見た遺跡地図番号03030の古墳(多胡村63号墳)
東の方から見た遺跡地図番号03030の古墳(多胡村63号墳)
遺跡地図番号03029の古墳(多胡村57号墳)の東側には小さな墓地区画があり,その墓地区画の北東側に隣接して,やや大きな塚状地形が見える。マッピングぐんまの遺跡ポータルでは表示されないが,高崎市2444号墳(多胡村56号墳)に該当するのだろうと判断した。所在地は,「高崎市吉井町多胡〆木」となっている。
墳丘上には石室材と思われる石材が露頭している。
北の方から見た多胡村56号墳
南の方から見た多胡村56号墳
多胡村56号墳の墳丘上に露頭している石材
南東の方から見た多胡村56号墳
マッピングぐんま:遺跡ポータル
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