スズメ

2023年になって最初に写真撮影できた鳥は,スズメだった。

美浦村内を散策中に撮影した。

雀はどこにでもいる小鳥なのだが,結構警戒心が強く,カメラを向けると逃げてしまう。


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「雀」は小さな鳥だ。

にもかかわらず,仁徳天皇の別名は「大雀命」。

しかし,大きくても雀は雀なので,王者の名ではない。

後代に書き換えられたか,または,唐の機嫌を損ねることを慮って,別の字を意図的に「雀」と表記した上で,朝廷内では当然に読み替えて使用していたかのいずれかの可能性がある。

倭国の王が使用することを唐の皇帝が嫌うかもしれないという点を重視すると,もし鳥の形であれば,「雀」ではなく「鳳」だったのではなかろうか。

あるいは,もし当時における類似音を重視するとすれば,「雀」ではなく「讃」または「珍」だったのではないかと考えられる。

本居宣長依頼の記紀の読み方は,根本的なところで修正が必要な場合が多い。

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一般論として,従来の通説を単純に堅持するだけで柔軟な思考というものが全く許されない「学派」という名のカルト集団的または家元制度的な利益独占組織を重視する時代は,完全に終わりにしなければならない。

そうしないと,日本国は滅びる。

とはいえ,本来の意味での学問の神髄とでもいうべき新たな視野を構築できる人材は,たぶん,それぞれの分野において数百年から千年くらいの間にせいぜい1人くらいしか出現しない。大概は,幼少時に「異常」として始末されてしまう。
神童と認められている者であっても,幸運に恵まれなければ資金を得られないので学術に打ち込むことができない。
それらの複雑な要素を全て充足する者だけが後世において「天才」と認められ得るものとして生存できるので,その関門はかなり狭いと言える。

現代のように平等思想が徹底している社会では,天才を「天才として認めること」に心理的な抵抗が異常に高まっているのだろうと思う。

人間は,法の適用においては平等に扱われなければならない。しかし,それは「法の適用」という場面においてのみだ。

ある学術分野における天才であるか凡人であるかは,法の適用とは無関係の問題だ。



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