石岡市柿岡:柿岡城址など(その1)
過日,柿岡城址(茨城県石岡市柿岡)を見学した。
柿岡城は,建久3年(1192)に築城され,以後,八田氏(柿岡氏)や佐竹氏の家臣等の居城となった。
現在,柿岡城址の主要部分は柿岡小学校の敷地となっており,その敷地内に入ることはできないが,柿岡小学校の敷地外に土塁や堀跡の一部が残されているというので,可能な限り歩いて見て回ることにした。
柿岡城址の説明板は,柿岡小学校の正門近くにある。
なお,小学校の敷地内に「史跡柿岡城址」と記された標石があるらしいのだが,小学校敷地内に立ち入ることができないので,その存否を確認できない。
とんでもない犯罪が発生して以来,学校と児童の安全を確保するための警備が厳しくなった。今後,同種の犯罪またはそれ以上に悲惨な犯罪が増加する可能性がないわけではないし,米国では学校等で銃を乱射して多数の人々を殺すような事件がときどき発生している現状に鑑みると,警備を弱めるわけにはいかないだろう。
そうである以上,関連自治体としては,現時点では学校の敷地内にある文化財標石や関連施設等を全部学校の敷地外に移動させることを検討すべきだと思う。それらの標石等は当該学校に限定された教育目的で設置されたものではなく,国民全体に周知するための手段の1つとして設置されたものだからだ。国民であれば誰でも自由にアクセスできるのでなければ意味がない。
柿岡小学校の正門付近
柿岡城址の説明板
柿岡小学校敷地東側付近
柿岡小学校の外側の道を時計回りに歩いた。この道を含む細長い低地部分は,かつては内堀の一部だったのだろうと思う。現在では埋められてしまい,家屋が建っているのでわかりにくい。
しばらく歩くと,稲荷神社の鳥居と参道が見える場所に至る。この参道は,やはり柿岡小学校の外周を巡っており,ぐるりと回って丸の内稲荷神社の社殿の前に出たので,同社を参拝。
この丸の内稲荷神社は,小さな塚の上に鎮座している。この塚に関し,古墳という見解もあるが,たぶん,比較的最近になって構築されたものであるか,または,(もし古いものであるとすれば)柿岡城の土塁の残存物だろうと思う。
なお,境内地には正一位丸の内稲荷大明神遷宮記念碑が立てられているので,元は他所にあったけれども現在地に遷座したということなのだろうと思う。詳細は不詳。
丸の内稲荷神社の鳥居と参道
丸の内稲荷神社の参道(続き)
(左手は内堀跡)
稲荷神社の社殿前の鳥居
稲荷神社の社殿
稲荷神社境内地の土塁残骸と思われる部分
供養塔
正一位丸の内稲荷大明神遷宮記念碑
また,稲荷神社の社殿のすぐそばに「柿岡考古博物館」と記された額のかけられた建物があり,その建物の脇には古墳の石棺材が多数立てかけられている。ただし,どの古墳から出土したものであるのかは不明。
その「柿岡考古博物館」という建物の裏手(南側)に古墳のように見える長楕円形の塚がある。これは,古墳ではなく,柿岡城の残存土塁の一部とされている。
古墳の箱式石棺の石材
柿岡城の残存土塁
石岡市社会福祉協議会八郷支所の外側を通る道
(柿岡城の西側の郭の一部)
余湖:柿岡城(八郷町柿岡字館)
この記事へのコメント