石岡市柿岡:丸山古墳群(その3)
2022年11月初旬のことだが,丸山古墳群(茨城県石岡市柿岡)を見学した。
丸山古墳群の古墳分布図は,柿岡古墳群の分布図の一部として,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の127頁にある。
ただし,この分布図は,後藤守一・大塚初重『常陸丸山古墳』(山岡書店,1957)に収載されている図をそのまま転用したもので,細部においては必ずしも正確なものではないのだが,古墳の相対的位置関係を知るためには参考になる。
今回の訪問は,合計23基の古墳(1基の前方後方墳,1基の前方後円墳と21基の円墳)で構成される丸山古墳群としての全体構成の理解を目的とする見学を目的とするものだった。アクセス可能な道が存在する場所しか訪問していないが,現存する古墳を見学できた。
佐志能神社の説明板は,朽廃に近い状態となっていた。また,以前訪問した時と比較すると,境内地が荒れているような印象を受ける。消滅する神社なのだろうか?
石段と拝殿
拝殿
本殿
拝殿前の敷石
(古墳由来石材?)
同上
社殿側面
境内社
境内社
聖徳太子尊
二十三夜供養塔など
二子塚古墳(丸山4号墳)は,墳丘の一部が削られ,石室が露出している古墳なのだが,今回訪問して見学しようとしたところ,石室の上部に大きな倒木があり,また,全体に低木などが繁茂していて見学に適さない状態になっていた。
二子塚古墳所在地の方に登る山道
二子塚古墳所在地
二子塚古墳所在地の前を通り過ぎ,山道をそのまま道なりに北東の方に進むと,塚状地形が見える場所に至る。たぶん,丸山8号墳(直径7.5mの円墳)だろうと思う。
丸山8号墳の近くには丸山9号墳(直径3.5mの円墳)及び丸山10号墳(直径8.5mの円墳)もあることになっているが,古墳らしきものは1基しかみつからなかった。
大きさから推測して丸山8号墳だろうと判断したけれども,丸山8号墳だと判断した古墳は丸山10号墳を誤認したという可能性がないわけではない。
あまり自信がないので,いずれ再訪し,もっと丁寧に観察したいと思っている。
ただ,山道から山林の中に入ることは避けたいので,結局,同定できない可能性は残る。
東の方から見た丸山8号墳または丸山10号墳
北東の方から見た丸山8号墳または丸山10号墳
北の方から見た丸山8号墳または丸山10号墳
山道は,次第に下りとなり,小規模な畑が開墾されている場所に出る。分布図上ではその畑付近が丸山16号墳(規模不明)と丸山17号墳(規模不明)の所在地となっている。
ただし,丸山16号墳及び丸山17号墳ともに既に隠滅している古墳。
畑のある場所
更に道なりに進むと「史跡丸山古墳」と記された標石のある場所に出た。
この場所から南東側に下る山の尾根上には丸山12号墳(規模不明),丸山13号墳(直径6.5mの円墳),丸山14号墳(道祖神1号墳・1辺11mの方墳),丸山15号墳(道祖神2号墳・規模不明)の所在地となっているが,いずれも既に隠滅している。
そこで,この石碑のある場所で丸山古墳群の観察を終了することにし,クルマを停めてあった場所まで徒歩で戻った。
史跡丸山古墳碑
この記事へのコメント