石岡市柿岡:丸山古墳群(その2)
2022年11月初旬のことだが,丸山古墳群(茨城県石岡市柿岡)を見学した。
丸山古墳群の古墳分布図は,柿岡古墳群の分布図の一部として,佐々木憲一・田中裕編『常陸の古墳群』(六一書房)の127頁にある。
ただし,この分布図は,後藤守一・大塚初重『常陸丸山古墳』(山岡書店,1957)に収載されている図をそのまま転用したもので,細部においては必ずしも正確なものではないのだが,古墳の相対的位置関係を知るためには参考になる。
今回の訪問は,合計23基の古墳(1基の前方後方墳,1基の前方後円墳と21基の円墳)で構成される丸山古墳群としての全体構成の理解を目的とする見学を目的とするものだった。アクセス可能な道が存在する場所しか訪問していないが,現存する古墳を見学できた。
丸山古墳(丸山1号墳)も再訪し,見学した。
丸山古墳(丸山1号墳)の周溝の外側には立派な土塁がある。この土塁は,鎌倉時代以降に「高友古塁」と呼ばれる山城の土塁として構築されたものだと考えられている。
しかし,山城または山城型の砦にしては戦闘または防御のための施設を置くべき郭の該当地が乏しく,なかなか理解に苦しむところがある。
丸山古墳の周溝を二次利用して臨時に物御台及び烽火台としての砦を構築したのかもしれず,あるいは,実質的には砦であり戦闘のために供することができるけれども平時においては神社として機能するように社殿が置かれ,その防御のために丸山古墳の周溝を二次利用して土塁が構築されたものかもしれない。
この土塁は,南側に1箇所だけ虎口のような切れ目があり,土橋がある。
土塁の内側に空堀が巡っている。ただし,部分的に中途半端な印象を受ける場所があり,もしかすると未完成のまま何らかの戦闘が勃発し,比較的短期間に決着がついてしった後,廃城または廃砦となってしまったのかもしれないというような印象を受けた。
下記の余湖氏のサイトに,この砦の主に関する伝承が紹介されており,非常に興味深い。
丸山古墳(丸山1号墳)の所在地前の通路
高友古塁虎口付近
南東側の堀底道
南東側の堀底道
土橋(手前)と虎口内側の土塁
(南の方から見た様子)
虎口内側の土塁
(北西の方から見た様子)
土塁上にある万葉歌碑
万葉歌碑付近から見た高友古塁西側部分
丸山古墳(丸山1号墳)の説明板
西の方から見た丸山古墳(丸山1号墳)の前方部
南西の方から見た丸山古墳(丸山1号墳)の後方部
丸山古墳(丸山1号墳)の墳頂付近
丸山古墳(丸山1号墳)の墳頂にある供養塔と石材
丸山古墳(丸山1号墳)の後方部から見た前方部
東の方から見た丸山古墳(丸山1号墳)の前方部端付近
南東の方から見た全景
(左手前が前方部・右奥が後方部)
墳丘上の巨樹
丸山古墳(丸山1号墳)の墳頂から見た高友古塁西側部分の様子
丸山古墳(丸山1号墳)から見た北東側の空堀の様子
丸山古墳(丸山1号墳)から見た東側~南東側の空堀の様子
石岡市の歴史と記憶:丸山古墳
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余湖:高友古塁
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