佐久市協和:聖徳太子神社

過日,遺跡の見学のため移動中,聖徳太子神社(長野県佐久市協和)の前を通りかかった。
「陰陽の珍石」なるものの説明板が掲げられており,境内には見るからに古墳由来石材だと思えるような石材が集められている。
由緒等の詳細は不明だったが,敬意を表する趣旨で参拝し,それらの石材を拝見した。社殿前の敷石と社殿右脇の石材は古墳由来のものではないかと思う。供養塔が集められた場所の左端にある石材は,古墳の石室材を二次利用して亀にしたものではないかと思う。

陰陽の珍石は,見てすぐに何なのかがわかる。金精様だと思われる。

この種の石造物は,関東地方~東北地方では道祖神として街道の要所に立てられていることがあったが,最近ではあまり目にしなくなった。夫婦和合・子孫繁栄を祈願するために関連神社に奉納されることは,今でもある。

縄文時代の遺跡からは明らかに金精様の祖先と思われる石製品がかなり多数出土している。それらの石製品は,非常に長い年月にわたり,子孫繁栄の祈りのために営々としてつくられてきたものだと考えられる。
博物館等でそれらの石製品の出土物が展示される場合,「石棒」と表記されることが多い。それは,非常に古い時代につくられたものなので,信仰対象だということがほぼ確実であっても,現在理解されているような金精様の信仰と同じかどうかは全く不明なので,誤解を避けるため,あえて無機的な「石棒」と表記しているものと思われる。そのような石棒と表記される出土物は,例えば,国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市城内町)で展示されている。

古くから続く聖天の信仰は,縄文時代以来の子孫繁栄の祈りまたはそれと同種の祈りを精神的な基礎とするもので,仏教の側面からは歓喜佛として,神道の側面からは伊弉諾神・伊弉冉神として神格化され,崇敬されているのだと理解している。
伊弉諾神・伊弉冉神を聖徳太子神社の「珍石」のような造形物として奉納し,現在でも信仰の対象としている神社が結構多数ある。

説明板によると,この聖徳太子神社の「珍石」は,神社建立に際してこの場所から発見されたので御神体とされたものとのこと。その出土状況の詳細については不詳。
誰かが記録化し,Web上で情報公開しないと,いずれ忘れ去られてしまうことになるだろう。


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聖徳太子神社の入口付近


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鳥居


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社殿


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社殿脇にある石材
(古墳由来石材?)


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供養塔等が集められた場所


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板碑


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道祖神


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亀?
(古墳石室由来石材の二次利用物?)


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馬頭観世音


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陰陽の珍石の説明板


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珍石



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