取手市野々井:白山神社と野々井城跡(その2)

過日,白山神社(茨城県取手市野々井)を参拝した。祭神は,伊弉諾尊・伊弉冉尊など七柱の神。本殿には白山姫尊と十一面観世音菩薩像も安置されているとのこと。

白山神社の境内地は,野々井城と呼ばれる城跡遺跡となっている。ところが,野々井城の詳細がよくわからない。白山神社の境内地及び周辺の関連遺構を含めてもそれほど広くはない場所なので,戦国時代の城のような大規模な城ではないと思われる。あり得るとすれば,大野山西光寺~青野山長福寺~白山神社付近一帯が相互に連携する郭または館となっており,全体として長束民部・兵部・刑部の三兄弟の一族が力を合わせて防護機能を発揮する城だったということはあり得ることなのではないかと思う。

白山神社の境内地の現況は,ほぼ長方形の台状の地形であり,四周に土塁がある。現況の土塁の東側部分は一部切れているけれども,これは平成の社殿改築の際に重機が通るようにするために一部掘削した結果とのことなので,もともとは東側の土塁は連続していた。
主たる通路と虎口は西側にあったと思われる。その虎口を隠すための桝形土塁様の構造物が白山神社社殿の西側にあり,現況では供養塔などが並ぶ場所となっている。
この桝形土塁様の構造物の中心部には円墳のような塚状地形があり,その頂上には大きな供養塔が立てられている。古墳の二次利用物かもしれないというような印象を受けた。ただし,これまでのところ,古墳としては扱われてこなかったし,信仰塚としても扱われてこなかった。

白山神社境内地の南側にある石段と堀切状の部分が昔からそのような形状であったのかどうかはわからない。印象としては比較的新しいものではないかと思う。

白山神社境内地の北側にはやや低い郭だったと考えられる半円形のような形状の区画がある。この場が馬出に相当する郭だった可能はあり得る。
その北側~西側には谷津のような場所があり,往時には水路があったと推定されるので,このあたりに船着場があったのかもしれない。

そして,一般論として,鎌倉時代の館のようなものでも当時としては立派な城だと言える。白山神社の境内地にある土塁は,往時においてはもっと大きく立派なものだったと想定されることから,鎌倉時代当時における館(城)としては,十分に立派で堅牢で必要十分な規模をもつものだったと判断できる。
それらのことを併せ考えると,この地の祖・長束民部とその一族の館のことを意味するものとして小野井城との呼称が用いられてきたということは十分にあり得ることだ。


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南西側土塁外側裾付近


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南側土塁外側裾付近


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南側~南東側土塁外側裾付近


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南東側土塁外側裾付近


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東側土塁外側裾付近


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東側土塁残部内側


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北東側土塁残部内側


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同上


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同上


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供養塔


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北東側~北側土塁外側裾付近


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北側~北西側土塁内側


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北西側土塁内側


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西側~北西側土塁残部内側


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西側土塁内側(虎口?)


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西側~北西側土塁外側裾付近の通路
(中央は堀切?)
(右手は虎口土塁?)


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白山神社の西側にある小規模な郭のような場所
(写真中央にある巨木が生えている塚状部分は古墳?)


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供養塔


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西側の小さな郭のような部分の中心にある塚状地形部分
(背後に見えるのは白山神社西側の虎口と思われる部分)


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塚の頂上に立てられている供養塔


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供養塔


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供養塔


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供養塔


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庚申塔



 余湖:野々井城(本能寺城・取手市野々井字堀ノ内)

 茨城県の城:野々井城



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