名取市愛島笠島:賽ノ窪古墳群とその周辺(その3)
過日,賽ノ窪古墳群(宮城県名取市愛島笠島)を見学した。
賽ノ窪古墳群は,名取市の愛島丘陵付近に分布する30基の古墳で構成される大規模な古墳群。
賽ノ窪古墳群の分布範囲が比較的広いので,ちょっとしんどかったけれども,全て徒歩で廻り,アクセス可能な現存古墳を観察し,神社を参拝し,また,近隣の遺跡を見学した。併せて,可能な範囲内で植生調査も実施した。
道祖神社(佐倍乃神社)の鳥居前の石段~参道付近の西側~北側には,切り立った段丘崖のようになっている場所がある。
この切り立った段丘崖のような場所には何となく横穴墓のように見える地形部分がある。偶然にそのような地形になっているだけかもしれない。この段丘崖のような場所付近は,笠島廃寺跡遺跡の指定範囲の中に含まれてはいるが,それ以外の遺跡としては登録されていない。
石段から見える横穴墓のような地形部分
表参道の西側にある段丘崖
横穴墓の残骸のように見える地形部分(ズーム)
横穴墓の残骸かもしれない場所
同上
表参道の東側に見える景色
この参道を道なりに南下し,尾根の上に出ると,笠島廃寺跡という遺跡があり,塔跡とされる場所の前に説明板が立てられている。
この塔跡の基壇文は方墳のように見える。古墳の二次利用物だろうと思う。塔跡の礎石とされているものは,礎石というよりも石室の一部が露頭しているだけのように見える。
説明板が立てられている場所(塔跡所在地付近)の少し北のところで道が分岐するようになっており,尾根上の道を選ぶと,尾根道の脇に土塁のようなものが見える。この土塁のようなものは,旧東街道の名残りとされているようだ。つまり,旧東街道は,現在の表参道ではなく,ずっと尾根上を通っていたということになる。
しかし,そのような説明は少し疑問がある。なぜなら,旧東街道が笠島廃寺の中心部分を貫通しているのでなければ成立しない説明だからだ。
笠島廃寺跡所在地の南西側にはかなり大規模な空堀のようなものがあり,自然地形ではないと考えられることから,このあたり一帯が山城だったという仮説は成立し得る。
それゆえ,旧東街道の名残りとされている土塁のようなものも山城の土塁の残存物のようなものであり,古代の東街道の残存物ではない可能性があると判断した。
尾根への登り道
笠島廃寺跡付近
笠島廃寺跡の説明板
北西の方から見た塔跡の基壇部
南の方から見た塔跡の基壇部
塔跡の礎石
笠島廃寺の建物跡とされている場所付近
笠島廃寺塔跡所在地の少し北にある分岐点
(南の方から見た様子)
(右手の坂を降りると道祖神社の表参道に至る)
(左手の尾根道を進むと湾曲しながら道祖神社の鳥居脇に出る)
旧東街道の名残りとされている部分
笠島廃寺の塔跡所在地の南西の方にある大きな空堀のような地形部分
同上
笠島廃寺跡の塔跡のある場所から道なりに南下すると,道の東側脇に塚状の地形部分が見えてくる。賽ノ窪24号墳に該当すると判断した。
賽ノ窪24号墳の墳頂付近は窪んでいる。
北の方から見た賽ノ窪24号墳所在地付近
北東の方から見た賽ノ窪24号墳
賽ノ窪24号墳の墳頂付近
南西の方から見た賽ノ窪24号墳所在地付近
賽ノ窪24号墳所在地の東側崖縁付近から見た御堂
賽ノ窪24号墳所在地から先(南側)は,全体として尾根の先端部になるので,少しずつ低くなっている。そのあたりには,古墳ではないかと強く疑われる地形が複数残されているけれども,現時点では古墳とされていないようだ。
尾根の南西側の方は民家敷地になって道がなくなっているように思えたので,そちらの方には行かなかった。
賽ノ窪24号墳所在地となっている尾根の南東側裾付近には御堂がある。この御堂に至る道は尾根の南東側裾にあり,石段を登ると御堂に至るのだが,賽ノ窪24号墳の南東の方からまわりこみながら山道を降りると,やはりこの御堂に至ることができる。
賽ノ窪24号墳所在地の少し南にある小型の塚状地形と供養塔
尾根の南東端付近にある円墳のような地形部分
崖縁にある塚の残骸のような地形部分
御堂
(背後の崖上が賽ノ窪24号墳所在地付近)
御堂の東側にある石段
名取市:笠島廃寺跡
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