名取市愛島笠島:賽ノ窪古墳群とその周辺(その2)

過日,賽ノ窪古墳群(宮城県名取市愛島笠島)を見学した。

賽ノ窪古墳群は,名取市の愛島丘陵付近に分布する30基の古墳で構成される大規模な古墳群。
賽ノ窪古墳群の分布範囲が比較的広いので,ちょっとしんどかったけれども,全て徒歩で廻り,アクセス可能な現存古墳を観察し,神社を参拝し,また,近隣の遺跡を見学した。併せて,可能な範囲内で植生調査も実施した。

道祖神社として知られる佐倍乃神社(宮城県名取市愛島笠島)を参拝した。祭神は,猿田彦大神・天鈿女命。

佐倍乃神社は,景行天皇40年,日本武尊の東征の際に創始された神社とされているが,慶長7年(1602年)に火災により神社の文書や宝物等が全て焼失しているため,その由緒の詳細を知ることができない。
その後,社殿が再建され,仙台の伊達家からも保護を受けて社殿の改修等が行われ,現在に至っている。
社殿はとても立派なものだった。
現在の社名は道祖神社なのだが,このブログ記事では「道祖神社(佐倍乃神社)」と表記することにする。

佐倍乃神社は,式内社・佐具叡神社を合祀している。合祀前の佐具叡神社(宮城県名取市愛島笠島)は,源氏物語ゆかりの神社。

また,道祖神社(佐倍乃神社)の境内(社殿西側)には賽ノ窪20号墳がある。賽ノ窪20号墳の墳丘裾には,その一部を削って基壇部とした境内社(田村神社)が鎮座している。


IMG_4649.JPG表参道の石段


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鳥居


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社号標


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道祖神社の標柱(側面は説明文)


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左側の狛犬


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右側の狛犬


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狛犬の背部


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由緒書

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古い由緒碑


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筆塚?


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馬頭観世音など


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秋葉山大権現など


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神門


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拝殿の方から見た神門


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神門側面


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手水


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拝殿


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拝殿正面の彫刻


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本殿


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本殿


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社殿側面


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境内社(佐具叡神社・高皇産霊神)


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境内社(田村神社)


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北東の方から見た賽ノ窪20号墳


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賽ノ窪20号墳の北側にある周溝のような地形部分


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北の方から見た賽ノ窪20号墳


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北西の方から見た賽ノ窪20号墳


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賽ノ窪20号墳の墳丘南側部分


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神輿庫


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社務所


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緑地環境保全地域の指定


道祖神社(佐倍乃神社)に合祀前の佐具叡神社は,佐具叡神社元宮として現在でも存在している。

その元宮をまだ参拝していないので,機会をみて参拝したいと思っている。

源氏物語の光源氏のモデルとされる中将藤原実方は,佐具叡神社(元宮)を参拝せずに通過したために神の怒りに触れ,落馬して亡くなったとされており,佐具叡神社元宮の境内地近くにその墓所がある。
この伝承からもわかるとおり,古代の街道を通る者は,要所要所に鎮座する公的神社を参拝し,挨拶するのが義務のようになっていたと考えられる。
そのようなは,衛兵がいてもいなくても事実上の強制力のある関所のようなものだと理解することができる。そして,(通行する者の身分に応じて)何がしかのものを(通行税として)奉納することになっていたのではなかろうか。
無論,規模の大きな神社の場合には,官衙の一種としての公務所そのものだった,または,官衙機能の一部委任を受けた官衙支所的な公務所でもあったと理解することができる場合が多いと考えられる。
一般に,律令体制下で地方の隅々まで公式の官衙建物を(規格どおりに)建築することは困難または不可能なことだったと推定されるので,神社が官衙支所的な公務所を兼ねることがあったと推理することは十分に可能な範囲内にあると考える。
江戸時代以降においても,大きな庄屋が地元の神社の神官を兼ね,郵便局(古代における駅,江戸時代以降における飛脚屋・飛脚問屋)を兼務することがしばしばあったと考えられ,日本国の地域社会における官民一体の統治システムの重要部分を担ってきたと考えられる。
ちなみに,古い神社の境内地に神馬の像が祀られているのは,当地の支配氏族が牧(馬の飼育)と深く関係する一族だったことによることが多いと思われるが,それとは別に,古代の駅における馬の交替や江戸時代以降の宿における馬の交替のための仕組みを円滑に運営することが重要であったことから,その円滑な運営を祈願する趣旨のものもあったのではないかと想像される。関所のような官衙的な機能をもつ公的施設または半公的施設の場合,駅または宿の馬の交替の管理もまた非常に重要な職務の一部となり得る。

いずれにしても,上述の位置関係(特に東街道との関係)を踏まえると,道祖神社(佐倍乃神社)は,古代において,関所としての官衙機能の一部を担当する公務所の一種だったのだろうと推測される。


 とうほく見聞録:藤原実方と道祖神(中将実方の墓・笠島道祖神社・佐具叡神社)



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