笠間市小原~水戸市杉崎町:柳沢古墳群(三軒屋古墳群)(その1)

2022年10月中旬のことだが,柳沢古墳群(茨城県笠間市小原~茨城県水戸市杉崎町)を見学した。
柳沢古墳群は,三軒屋古墳群(茨城県水戸市杉崎町)と同一の古墳群なのだが,異なる行政区画にまたがって分布していることから笠間市では柳沢古墳群と呼称しているのに対し,水戸市では三軒屋古墳群と呼称しており,しかも,古くからの境塚と推定されている塚群が境界線上に並んで混在しているので,個体識別という観点ではかなり面倒くさい状態になっている古墳群の1つだと言える。
同様の原因に起因する個体識別上の問題を抱えている古墳群として,例えば,藤江古墳群(栃木県鹿沼市藤江町~栃木県下都賀郡壬生町)や下台原古墳群(栃木県鹿沼市深津~栃木県宇都宮市下欠町)がある。

以前,三軒屋古墳群を訪問した際は,よくわからないまま,数基の古墳を見学しただけで終わりになっていたのだが,その後,別の資料を丁寧に読んだ上で,「まだ残存しているはずだ」と思い,再訪することにした。
ただし,古墳群所在地の西側に位置する2基の円墳中の1基が既に湮滅していて,その現況は更地状態になっていることを確認しており,残りの1基は見学不能だろうと判断していたので,見学しなかった。これら古墳群の西側に位置する2基の古墳は,柳沢古墳群(三軒屋古墳群)の8号墳と9号墳に該当すると思われる。

三軒屋古墳群としての解説は,内原町史編さん委員会編『内原町の遺跡-内原町遺跡分布調査報告書-』(平成6年)の25頁及び65頁にある。内原町史編さん委員会編『内原町史 通史編』(平成8年)の中には三軒屋古墳群の詳細な解説が含まれていない。

柳沢古墳群としての解説は,友部町史編さん委員会編『友部町史』(平成2年)の76~78に詳細な解説と古墳群全体の測量図がある。

ただし,『友部町史』の記載の中では付番の記載がないので,識別同定上の困難が存在する。ちゃんとした情報学が存在してなかった時代の著作物なので,やむを得ない面はある。
これに対し,『内原町の遺跡』の25頁の記載の中では付番が明記されているけれども,図版との対応関係が全く示されていないという致命的な欠陥があるため,解釈に苦労する。これも,ちゃんとした情報学が存在していなかった時代の著作物なので,やむを得ない面はある。

しかし,現時点では情報学及び情報処理技術に関する社会状況が全く異なる。

茨城県教育委員会または関連担当部署は,しかるべく調査の上で水戸市教育委員会と笠間市教育委員会を行政指導し,唯一無二(ユニーク)に識別可能な古墳詳細情報をオープンデータとして無償で提供すべきだと考える。

このブログ記事では,便宜,「柳沢古墳群(三軒屋古墳群)」と表記することにする。

さて,柳沢古墳群(三軒屋古墳群)の2号墳と4号墳は,富士セメント工業株式会社の敷地北端のすぐ北側にある林内に位置しており,どちらの古墳もかなり良好な状態が維持されている。

「富士塚」または「富士塚古墳」とも呼ばれる柳沢2号墳(内原140号墳)は,柳沢古墳群(三軒屋古墳群)を構成する古墳の中で最大規模の古墳。
柳沢2号墳(内原140号墳)は,直径45m・高さ5.2mで,幅4m・深さ0.9mの周溝をもつ円墳とされており,その墳頂付近から須恵器甕の破片が発見されている。


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北西の方から見た柳沢2号墳


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柳沢2号墳の墳頂付近


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柳沢2号墳の墳頂にある標柱


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北東の方から見た柳沢2号墳


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柳沢2号墳の周溝部分


IMG_4379.JPG柳沢2号墳のすぐ近くにある三軒屋塚群中の1基
(写真中央の小さなコブ状地形部分)


柳沢2号墳の東側に隣接して饅頭のような形をした古墳がある。柳沢古墳群(三軒屋古墳群)の4号墳(内原224号墳)に該当すると判断した。

柳原4号墳(内原224号墳)は,直径10m・高さ2.5mの円墳とされている。

柳沢4号墳所在地の南側にある土地は,富士セメント工業株式会社の敷地となっている。富士セメント工業の敷地側から古墳群所在地の山林内に入ることはできてない。


IMG_4402.JPG西の方から見た柳沢4号墳


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柳沢4号墳の墳頂付近


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北の方から見た柳沢4号墳



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