坂東市逆井:常繁寺とその周辺(その1)
過日,浄土宗・慈雲山千手院常繁寺(茨城県坂東市逆井)を参拝した。本尊は,阿弥陀三尊。
新四国猿島八十八箇所霊場第七十七番・新四国猿島八十八箇所霊場第八十番・猿島坂東三十三観音霊場第十一番・茨城百八地蔵尊霊場第五十二番となっている。
常繁寺の創始は,かなり古い時代のこととされている。後に逆井氏の菩提寺となり,常繁寺と称するようになったらしい。
水海道市史編さん委員会編『水海道市史 上巻』(昭和58年)の227~228頁に常繁寺の縁起に関する解説がある。この解説では,逆井郷地頭逆井氏が開基となり,了誉上人(聖冏)を招いて開山された寺院としている。
また,明治時代には逆井村尋常小学校の校舎として用いられ,日本国における初等教育の導入のために貢献した。
私が参拝した日にはたまたま近所で火事が発生中で,黒い煙がもうもうと出ており,空には消防関係または報道関係と思われるヘリコプターが旋回し,常繁寺の隣地にある前川公園には火事を心配して様子を見ようとする人が集まったりしていたが,やがて鎮火し,静かになった。
周囲が静かになるまで待ち,それから本堂に向かった。
幸運にもたまたま住職と出逢うことができ,常繁寺の歴史や逆井城の城主・逆井常繁とその一族の墓所等について懇切に説明を受けることができた。その日は法要があったようで,かなり多忙の中で時間を見つけて私の相手をしていただいたのだと推察する。住職の説明は簡にして要を得ていた。明晰な方なのだろうと思う。まことにありがたいことだと思う。
住職の御教示に従って逆井常繁とその一族の墓所を拝見し,その前で合掌した。
その墓所は千手観世音堂の裏手にあり,その区画には歴代住職の墓所もある。
古い石造物がずらりと並んでおり,その中には文化財としての学術上の価値の高いものも含まれている。素晴らしい。
常繁寺入口付近
馬頭観世音
馬頭観世音
参道
本堂
薬師堂
千手観世音堂
(猿島坂東三十三観音霊場第十一番)
元禄時代の延命地蔵尊
(茨城百八地蔵尊霊場第五十二番)
(欠損部分があるのは第二次世界大戦当時に軍から供出を命じられたため)
新四国猿島八十八箇所霊場第七十七番(常繁寺内延壽院)
新四国猿島八十八箇所霊場第八十番(常繁寺)
聖徳太子
鐘楼
逆井氏一族の墓所
逆井重繁夫妻の墓碑
(没年・天文五丙申年三月三日)
供養塔
歴代住職の墓所
常繁寺中興開山碑
(正保四年)
古い板碑を用いた墓碑
(拾四世住職・拾六世住職)
了誉上人(聖冏)碑
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