笠間市飯合:熊野神社と古墳(その3)

過日,熊野神社(茨城県笠間市飯合)を参拝した。祭神は,伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大神。

熊野神社の境内地の上(北側)にある山道の脇には上ノ平古墳群と呼ばれる古墳群がある。上ノ平古墳群に関しては,笠間市史編さん委員会編『笠間市遺跡分布調査報告書』(1992年)の84頁に詳細な説明があり,その134頁に配置図がある。3基の円墳で構成される古墳群とされている。

『笠間市遺跡分布調査報告書』に記載のある上ノ平古墳群を構成する3基の円墳は,茨城県教員委員会編『重要遺跡調査報告書Ⅰ』(昭和57年3月)の7頁では「飯岡古墳群」と呼ばれる古墳群分布域の南西側にある4基の円墳中に含まれている。
飯岡古墳群は,12基の円墳で構成される古墳群とされている。
この飯岡古墳群の12基の円墳中の分布域の南東側にある3基の古墳は,住宅地等となって湮滅している。
分布域の北東にある1基は,熊野神社境内地上を通る尾根道への分岐点付近が所在地となっているのだが,明確にそれとわかるものが見当たらなかったので,既に湮滅しているのではないかと思う。

そして,熊野神社境内地の上にある尾根道の北側にも飯岡古墳群を構成する4基の円墳が存在することになっている。
その4基の円墳の所在地の現況は山林となっている。その山林内には立ち入らず,尾根道から見える範囲内で観察してみた。
若干のコブ状の地形部分があることはある。
しかし,明確に古墳の墳丘として識別できるレベルのものは見当たらない。4基とも湮滅したのか,または,非常に小さな古墳もしくは地下遺構だけの古墳なのかもしれない。

他方,『笠間市遺跡分布調査報告書』に記載のある3基の円墳に該当すると判断できる塚状地形が現存していることを確認した。
北東端の古墳が3号墳になり,南西端の古墳が1号墳となる。1号墳で山裾となりそこから南西側は畑と民家敷地になっているので,1号墳所在地付近から引き返すことにした。

なお,後になってから,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』の7頁にある図を何度も熟視し,更によく考えてみたところ,同頁の図に明記されている「飯合字上ノ平165」に所在する古墳とは,熊野神社境内地北西側にある掘削によって法面のようになった場所に横穴墓の奥壁のように見えている部分が該当するのではないかと判断するに至った。
もしそうであるとすれば,『重要遺跡調査報告書Ⅰ』にある熊野神社境内地北西側の4基の古墳中の3基が完存,1基が残骸状態または名残り状態で残存していることになる。
また,もしそうであるとすれば,『笠間市遺跡分布調査報告書』に記載のある3基の円墳は,いずれも「飯合字上ノ平166」の中に所在していることになる。

このブログ記事では,『重要遺跡調査報告書』に記載のある飯岡古墳群の古墳としてではなく,『笠間市遺跡分布調査報告書』に記載のある上ノ平古墳群に属する古墳として記事を書くことにする。


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北東の方から見た熊野神社境内地の上(北側)を通る尾根道


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尾根道から見える熊野神社の社殿屋根の一部


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尾根道の北側の林内の様子
(幾つかのコブ状地形が見える)


上ノ平3号墳は,直径9.7m・高さ1.0mの円墳とされている。

上ノ平3号墳の墳丘の一部が尾根道によって削られているように見えるが,その部分は地山の一部だと判断した。地山の上に薄い皿を伏せたような形状の塚があり,その低い塚状の部分が墳丘に該当すると思われる。


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北東の方から見た3号墳
(手前は地山・中央奥が墳丘)


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南西の方から見た3号墳
(手前は地山・中央奥が墳丘)


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3号墳所在地の北西側を通る尾根道
(南西の方から見た様子)


上ノ平2号墳は,直径10.0m・高さ2.0mの円墳とされている。


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北西の方から見た2号墳


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西の方から見た2号墳


上ノ平1号墳は,直径7.5m・高さ1.5mの円墳とされている。


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南西の方から見た1号墳


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1号墳の近景


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1号墳所在地の北西側~西側を通る山道
(南西の方から見た様子)


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1号墳の南西側裾にある畑地
(道は,ここで途切れている)


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