南相馬市原町区上太田:岩屋寺と古墳(その2)
過日,曹洞宗・太田山岩屋寺(福島県南相馬市原町区上太田)を参拝した。
岩屋寺の本堂の背後(北側)にある山の南側斜面には横穴墓群(前田横穴墓群)があり,山頂付近には前方後円墳(上太田前田古墳)がある。
前田横穴墓群に関しては,南相馬市教育委員会編『原町市史 第3巻 資料編Ⅰ[考古]』(平成23年)の489頁に詳細な解説と分布図がある。
前田横穴墓群は,3段にわたり約10基の横穴墓を確認できるとのことなのだが,西側に位置する2基の横穴墓は現代の墓地の背後に隠れているため非常にわかりにくい。しかも,容易に見学可能なのは1基のみなので,その1基だけを見学した。
横穴墓群所在地の中段にある横穴墓の中の東側山裾付近にある横穴墓は,現代では崩落等のために痕跡のような状態になっており,危険と判断したので,その所在地には近寄らなかった。
横穴墓群の上段にある4基の横穴墓は,後代に改変されたものを含め,規模が大きく,わかりやすいので,全部見学できた。
結局,山頂まで登る山道の脇には,山道からざっと見渡した限りでも,既に横穴墓として確定している遺跡以外にも横穴墓の痕跡または残骸と思われる地形部分が複数残存していることを確認できるのだが,それらに関して精密な調査が実施されたことはないのではないかと思われる。
山道の脇に開口している横穴墓の中にはとても大きなものがある。これは,後代に二次利用のために改変された結果なのだそうだ。
『原町市史 第3巻 資料編Ⅰ[考古]』の766頁によれば,相馬重胤は,没後,当初は横穴墓を拡張した岩屋(龕)の中に埋葬され,後に山頂の「重胤公御壇」に改葬され,当初は岩屋(龕)に埋葬されたとのこと。
前田横穴墓群には横穴墓が複数存在しているけれども正式の付番が存在するのかどうかが不明であるため,このブログ記事では,仮にA号墳等としてアルファベットの仮付番で横穴墓を特定することにする。
さて,横穴墓群所在地の西側にある2基の横穴墓中の1基(仮にA号墳と呼ぶ。)は,現代の墓地の裏側にあって非常にわかりにくいが,よく観るとどうにか発見できる。
この西側にある2基の横穴墓が3段になっている横穴墓群中の下段の横穴墓に該当すると判断した。
本堂裏(北側)にある小規模の墓地区画から登る山道がある。その山道に入るとすぐに竹林となっている。この山の南側斜面に3段になって横穴墓が分布している。
山道脇を登ると最初に見える横穴墓(仮にB号墳と呼ぶ。)が3段になっている横穴墓群中の中段の横穴墓に該当するのではないかと思う。中段の横穴墓は,山の南東側斜面にもあることになっている。しかし,危険な状態にあると判断したので,その斜面部分には近寄らなかった。
B号墳のある場所から更に登ると,テラスのような平坦面のある場所に至る。
このテラスのような場所には合計4基の横穴墓がある。3段になっている横穴墓群の上段の横穴墓に該当すると判断した。
このテラスのような場所の西端に1基の大きな横穴墓(仮にC号墳と呼ぶ。)がある。この大きな横穴墓が相馬重胤を最初に埋葬するために改変された横穴墓なのだろうと思う。
横穴墓群の上段にある4基の横穴墓中の3基(仮にD号墳~F号墳と呼ぶ。)は,テラスのような場所の東側にまとまって並んでいる。
この3基の横穴墓の前を過ぎ,北東方向に少し登ると,前方後円墳(上太田前田古墳)の所在地となっている山頂付近に至ることができる。
B号墳の上の方に登ったところから見たD号墳~F号墳の所在地付近の様子
D号墳~F号墳の開口部
D号墳の内部の様子
E号墳の内部の様子
F号墳の内部の様子
南東の方から見たD号墳~F号墳所在地付近の様子
更に山道を登ったところから見たD号墳~F号墳の所在地付近の様子
C号墳~F号墳の上(北側)にあるやや平坦な場所(地山の山頂部分)
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