上田市中央北:大星神社
過日,大星神社(長野県上田市中央北)を参拝した。祭神は,建南方命・前八坂刀賣命・事代主命。
創祀の詳細は不明。平安時代よりも前からある非常に古い神社とされており,私もそうだろうと思う。
大星神社は,明治11年に上田神社と改められ,昭和16年に大星神社に復した。大星神社の境内には「上田神社」と記された大きな石碑がある。この石碑は,上田神社と改められた時に立てられたものと思われる。
現在の社殿は,寛保元年(1741年)に再建されたものらしい。
大星神社の駐車場は非常にわかりにくい場所にあり,ちょっと苦労したけれども,どうにか到達。参拝した上で境内を拝見した。
私が訪問した時には例祭の準備中のようだった。拝殿前には準備作業用の足場などが設けられていた。
鳥居
社号標
由緒書
参道の鳥居
社務所
上田神社之碑
万葉歌碑
拝殿前の鳥居
拝殿
拝殿屋根の破風部
本殿
社殿側面
神木と境内社(弥栄神社)
境内社(弥栄神社)
境内社(弥栄神社)の右側の狛犬
境内社(弥栄神社)の左側の狛犬
境内社(弥栄神社)の由緒書
境内社(蚕養国神社)
境内社(蚕養国神社)の社殿
境内社(蚕養国神社)の説明板
境内社(天満宮)
神馬殿
大星神社の境内地北側道路付近にいた山羊
大星神社の当初の祭神は不明。
大星神社の北東側隣地にある二子塚古墳の被葬者を祀るために里人が創始した神社が始まりとの伝承もあるとのことで,かなり信憑性のある伝承ではないかと思う。
仮にそのとおりであるとして,大星神社の最初の形態は,古墳それ自体を御神体として崇敬するようなものだったのだろうと思う。当初の祭神に関しては,「上田の神」(=二子塚古墳の被葬者)とするのが本来的には正しいのではなかろうか。滋野氏(海野氏)がその後裔になるのかもしれない。
現在では,大星神社と二子塚古墳との間が道路によって隔てられており,二子塚古墳の上には大星神社とは別に秋葉神社が鎮座している。
大星神社の現在の祭神は,古墳時代後期頃~律令制が確立された時期頃に,朝廷の命により神社の格式や祭神等が再編成されたことがあり,その頃に諏訪大社の末社のような位置づけにされてしまったのではないかと推測される。
玄松子:大星神社
この記事へのコメント