栃木県下都賀郡野木町野木:野木神社別所趾碑
野木神社(栃木県下都賀郡野木町野木)の由緒書によれば,野木神社は,下野國造奈良別命が莵道稚郎子命の遺骨を奉じたのが創始とされている。しかし,その墓所または御霊のある場所がどこかについては,確定していないようだ。
莵道稚郎子命の遺骨を奉じた場所ではないのだが,「だいてばこ」というものと関連する説明板が旧下野煉化製造会社煉瓦窯(野木町煉瓦窯)の駐車場近くにある。
この説明板のある場所に莵道稚郎子命の墓所等が存在するわけではなく,観光用にこの場所に立てられているだけだろうと思う。
「野渡」にあったという祠の所在地に関しては,「だいてばこひろば」所在地ではなく,熊野神社(栃木県下都賀郡野木町野渡)がその候補地になり得るのではないかと思われる。ただし,後述のとおり,「野渡」ではないかもしれない。「野渡」とするためには客観的な証拠による証明が尽くされなければならない。
また,奈良別命が現在の熊谷市の方に転居した際,莵道稚郎子命の遺骨を掘り出して現在の熊谷市内のどこかに埋納し直したということも考えられ,その際に,本物の遺骨の代わりに残した手箱が「だいてばこ(代手箱)」なのではないかとも考えられ得る。
菅原道真の遺骨を大生郷天満宮(茨城県常総市大生郷町)に埋納し直したという事績と同じ。
説明板
莵道稚郎子命の遺骨の埋納地に関しては,野木神社の鎮座地となっている台地の北東側縁付近に「野木神社別途趾」という非常に興味深い石碑が立てられている場所がある。
遊歩道があったので散策中,見つけることができた。
公式の遺跡包蔵地として指定されているわけではないが,無視できないのではないかと思う。
熊谷市の「別府」が「別所」と同義だとすれば,その地名とも何らかの関連性があるように思われる。
なお,このあたりを散策中,イノシシの子供が疾走するのを目にした。
野木神社のある台地の北東側段丘崖斜面を通る散策路
(北の方から見た様子)
野木神社の北東側にある谷津の様子
水辺の楽校ふれあい広場の一部
野木神社のある台地の北東側段丘崖上を通る散策路
(南東の方から見た様子)
水辺の楽校応援倶楽部ふれあい広場の施設
ホタル育成募金箱
野木神社のある台地の北東側段丘崖上を通る散策路の北端付近
(南東の方から見た様子)
野木神社別所趾碑の所在地
野木神社別所趾碑
石祠
野木神社別所趾碑所在地の北側にある竹林
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