成田市南三里塚:南三里塚五十石込遺跡

過日,南三里塚五十石込遺跡(千葉県成田市南三里塚)を見学した。

財団法人印旛郡市文化財センター編『財団法人印旛郡市文化財センター発掘調査報告書189 南三里塚五十石込遺跡』(2002年)によれば,南三里塚五十石込遺跡は,野馬捕込遺跡であり,「近世牧制度における下総佐倉七牧のひとつである取香牧の捕込跡」とされている。要するに,江戸時代の牧場遺跡の一種であり,明治時代以降の御料牧場の前身と考えることができる。

外形だけを見る限り,方形の土塁によって四周を囲まれた館跡または城跡のように見えるのだが,周囲に堀または空堀がない。
江戸時代には,このような土塁で囲まれた捕込に放牧中の馬を追い込んで集めることが行われ,その様子を土塁上から見物させる商売もあったらしい。
普及版成田市史編集委員会(成田市立図書館)編『図説成田の歴史』(1994年)の100~103頁に「佐倉七牧」の解説があり,その102頁には江戸時代における捕込見物の様子を描いた図が収録されている。
日本国(倭国)では古墳時代から馬の放牧が盛んに行われており,農耕のためにも戦闘のためにも馬が盛んに利用された。そのような放牧は,第二次世界大戦の終戦後,石油燃料による動力(原動機)が大規模に導入されるまで続いた。
それゆえ,野馬土手遺跡の時代考証は,常に非常に大きな困難と直面することになる。どの時代のものか確定しにくいのだ。しかも,過去からの野馬土手や古墳や城跡等を二次利用(改変)して江戸時代に修復・整備した施設等も多数あったと推定される。

南三里塚五十石込遺跡もそのような捕込施設だったかもしれない。
南三里塚五十石込遺跡の北に隣接して,前方緒後円墳と円墳によって構成される五十石古墳群(千葉県山武郡芝山町岩山)がある。南三里塚五十込遺跡内にある大きな土塁様遺跡部分は,たぶん見物台があった場所なのだろうと想像するが,元は大きな古墳であり,その墳丘を二次利用したものかもしれないというような印象を受けた。

南三里塚五十込遺跡は,方形の土塁で囲まれた城のような形状の遺跡なのだが,その南東側の民家敷地脇にも直線状の土塁のようなものがある。関連施設の遺跡と思われる。


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遺跡南東側の様子
(右側の森が南三里塚五十石遺跡所在地)
(写真中央付近に直線状の土塁跡のようなものがある)


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遺跡所在地北側の道路


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遺跡北側にある土塁外側の様子


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遺跡内に入る入口付近


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内側から見た入口付近


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遺跡の東端付近にある櫓台様の大きな土塁跡
(北西の方から見た様子)


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同上
(西の方から見た様子)


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同上
(南西の方から見た様子)


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南東側にある土塁の切れ目部分


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南東側の切れ目部分から見た北側の入口方向の様子


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遺跡の南西側の様子


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遺跡南西側にある土塁外側の様子


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遺跡の近くにある道路改修記念碑



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