千葉県山武郡芝山町芝山:観音教寺(その1)

過日,芝山仁王尊として知られる天台宗・天応山福聚院観音教寺(千葉県山武郡芝山町芝山)を再訪した。本尊は,十一面観世音菩薩。
上総国薬師如来霊場第二十八番結願寺・新上総国三十三観音霊場第三十三番結願寺・東国花の寺百ヶ寺千葉六番札所となっている。

観音教寺にはだいぶ以前に参拝したことがあるが,その時は,簡単に参拝を済ませるだけだった。今回は,かなり時間をかけてじっくりと境内を拝見した。

堂宇はとても立派なものだった。

観音教寺の本堂の隣にある現代の建物は,元は「芝山はにわ博物館」だったが,令和3年1月1日をもって閉館となっており,それまで収蔵・展示されていた殿塚古墳・姫塚古墳出土の埴輪は,現在では芝山町立はにわ博物館に貸し出され,同館内で保存・展示されている。

観音教寺は,天応元年(781年)に征東大使・藤原継縄が十一面観世音菩薩を安置したのが始まりの寺院とのこと。


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観音教寺入口の石段


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石段上部


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大黒堂


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手水


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客殿


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仁王門


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仁王門と本堂前の間の石段


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本堂


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本堂正面


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本堂の彫刻(一部)


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本堂の屋根破風部


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本堂前の石段


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大護摩堂
(旧芝山はにわ博物館)


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本堂と大護摩堂


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同上


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本堂前の手水


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芭蕉句碑


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窪田空穂歌碑


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窪田空穂歌碑の説明板


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吾妻号碑
(旧下総御料牧場(現成田空港)所在地から移築)


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吾妻号碑の由来書


藤原継縄が生きた時代に関して興味をもたれることはあまりないかもしれない。
藤原継縄が生きた時代には,藤原仲麻呂の乱,宝亀の乱などがあった。
更に,藤原氏の中でも争いがあり,加えて,皇族を含め,貴族階級の中で百濟系と関係のある家系とそうでない家系との間に争いがあった時代のようだ。最終的には百濟系が勝利していると言えると思う。白江(白村江)の敗戦以来の権力構図がやっと旧に復したとも言えるかもしれない。

一般に,遺伝子という面で見ると,男女の差はないので,父系だけを系統として理解するのではなく,母系を通じた系統も重視すべきだ。そうすると,あまり良く見えない歴史部分が少し見えてくる。
このことは,当該学術分野では随分昔から常識の一部なのだが,男尊女卑の思想に染まってしまっている人には受容されることがない。フランシス・ベーコンのイドラの典型だと言える。

それはさておき,藤原継縄は,道鏡や桓武天皇の時代には大きく昇進しているので,日本国の実質的な執政者だった時期が比較的長いと言えるのではないだろうか?
どうしてそのようになったのかに関しても,母方の系統を調べると,少し理解できるようになるかもしれない。
桓武平氏の幟は白色。「白」は「百」の略字または隠し字(暗号の一種)として機能することがある。

ちなみに,藤原継縄は,宝亀の乱の際に征東大使に任命されているが,結局,平城京を出ることがなかったと解するのが通説なので,観音教寺の縁起との関係で,現在の通説のままで良いのかどうか再検討を要するのではないかと考えられる。


  芝山仁王尊観音教寺

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